ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第12帖 須磨 / 第15場面

絵と十五夜の宴

あらすじ・人物・読み方

源氏は絵を描き、十五夜の月には雁の歌を供の人々と交わす。漢詩の句を誦し、帝を恋しく思う。

下の同じ枠で原文・発音の読み・現代語を一節ずつ確認できます。どの読み方から始めても読了を記録できます。

表示と音声の設定

任意の復習へ

現代語で読む

「本当に、どう思うだろう。わが身ひとつのために、親や兄弟が片時も立ち離れがたく、身分に応じて思い合うだろう家を別れて、このように惑い合っている」とお思いになると、ひどく悲しくて、「このように思い沈む様子を、心細いと思うだろう」とお思いになるので、昼は何やかやと言って紛らわし、所在ないままに、色々の紙を継ぎながら、手習いをなさり、珍しい様子の唐の綾などに、さまざまな絵を描き遊びなさった屏風の面などは、たいそう素晴らしく見どころがある。

人々が語り申し上げた海や山の様子を、遠くに思いやっていらしたが、御目の近くでは、本当に及ばない磯の佇まいを、二つとないほど描き集めていらっしゃった。

「近ごろの上手と言われる千枝や常則などを召して、作り絵をお仕えさせたいなあ」

と、心待ちにし合っている。懐かしく素晴らしいお姿に、世の物思いを忘れて、近く馴れてお仕え申し上げるのを嬉しいこととして、四、五人ばかりが、ぴったりお仕えしていた。

前栽の花が色々咲き乱れ、面白い夕暮れに、海が見渡せる廊にお出になって、佇みなさる様子の、恐ろしいほど清らかなことは、場所柄はもちろん、ましてこの世のものとは見えなさらない。白い綾のなよやかなものに、紫苑色などを差し上げて、細やかな御直衣に、帯をしどけなく打ち乱れていらっしゃるお姿で、

「釈迦牟尼仏の弟子〔です〕」

と名乗って、ゆったりとお読みになるのは、また世に知られないほどに聞こえる。

沖から舟どもが歌い騒いで漕ぎ行くことなども聞こえる。ほのかに、ただ小さな鳥が浮かんでいると見渡されるのも、心細げであるところに、雁が連なって鳴く声が、楫の音に紛れるのを、見つめていらして、涙がこぼれるのを掻き払っていらっしゃるお手つきが、黒い御数珠に映えていらっしゃるので、故郷の女や恋しい人々は、心が皆慰められた。初雁は、恋しい人の列であるのでしょうか。旅の空を飛ぶ声の悲しいことよ。

とおっしゃると、良清は、掻き連ねて飛ぶ姿に、昔のことが思い出されます。雁はその世の友ではないけれども。

民部大輔は、心から常世を捨てて鳴く雁を、雲のよそにも思ったことでした。

前右近将督は、常世を出て旅の空にいる雁の声も、列に遅れないほどは慰められます。

友を惑わせてしまったら、どうしたことでしょう」

と言う。親が常陸〔介〕になって下ったのにも誘われず、参上していたのであった。内心では思い砕くようであるけれど、誇らしげに振る舞って、つれない様子で歩き回る。

月がたいそう華やかに差し出ているので、「今宵は十五夜であった」と思い出して、殿上の御遊びが恋しく、「〔帝や宮が〕所々で眺めていらっしゃるだろう」と思いやりなさるにつけても、月の顔ばかりを見守られなさる。

「二千里の外にある、故人の心〔は遠くから通う〕」

と誦じなさったのは、例によって涙も留められない。入道の宮が「霧や隔つる」とおっしゃったほどが、言いようもなく恋しく、折々のことを思い出しなさるにつけ、声を上げてお泣きになってしまう。

「夜が更けてしまいました」

と聞こえるけれど、なおお入りにならない。見る間だけはしばし慰められます。巡り会うでしょう月の都は、遥かであるけれども。

その夜、主上がたいそう懐かしく昔物語などをなさったお姿が、院に似申し上げていらしたことも、恋しく思い出し申し上げなさって、

「恩賜の御衣は今ここにあります」

と誦じながらお入りになってしまった。御衣は本当に身から離さず、そばに置いていらっしゃった。憂いとばかり一途に物は思われないで、左右どちらの袖も涙に濡れることです。

底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第12冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。