ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第12帖 須磨 / 第19場面

宰相中将の来訪

あらすじ・人物・読み方

源氏は桜に去年の春を思い、宰相になった頭中将が須磨を訪れる。夜を徹して語り合い、雁の歌を交わして名残惜しく別れる。

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現代語で読む

須磨では、年が改まって、日が長く所在ないところに、植えた若木の桜がほのかに咲き始めて、空の様子がうららかなので、万事思い出されて、泣きなさる折が多かった。

二月二十日過ぎ、去年の、京を別れた時、心苦しかった人々のご様子などが、たいそう恋しく、「南殿の桜は、盛りになっているだろう。一昨年の花の宴に、院のご様子や、内裏の主上がたいそう清らかに艶やかで、私の作った句をお唱えになったこと」も、思い出し申し上げなさる。いつとはなく大宮人が恋しいのに、桜をかざした今日も巡って来たことよ。

たいそう所在ないところに、大殿の三位中将は、今は宰相になって、人柄がたいそう良いので、時勢の評判が重くしていらっしゃるけれども、世の中がしみじみとつまらなく、事あるごとに〔源氏が〕恋しく思われなさるので、「世間の聞こえがあって罪に当たるとしてもどうしよう」と思いなして、急に参上なさる。

一目見るなり、珍しく嬉しいのにも、ひと筋涙がこぼれた。

お住まいなさっている様子は、言いようもなく中国風である。場所の様子は、絵に描いたようである上に、竹を編んだ垣根を巡らして、石の階段、松の柱と、粗末なものでありながら、珍しく趣がある。

山里の者のようで、ゆるし色の黄みがかった〔装いに〕、青鈍の狩衣や指貫で、簡素にしていらっしゃって、わざわざ田舎びたお仕立てにしていらっしゃるのが、たいそう、見る人を微笑ませるほど清らかである。

お使いになっている調度も、仮のものに仕立てて、お座所もあらわに見通すことができる。碁や双六盤、調度、弾棋の具などを、田舎風に作って、念誦の具は、勤行をなさっていたと見えた。食事などが運ばれてくるのも、わざわざ場所に合わせて、趣向を凝らして作ってあった。

海人たちが漁をして、貝の付いた物を持って参ったのを、呼び出して御覧になる。浦で年を経る様子などを問わせなさると、さまざまに安らかでない身の上の憂いを申し上げる。とりとめもなく話すのも、「心の行く末は同じこと。何が違うだろう」と、しみじみと御覧になる。御衣などを褒美に下さるのを、生きている甲斐があると思っていた。御馬どもを近くに立てて、見渡せる倉から稲を取り出して飼う様子などを、珍しく御覧になる。

「飛鳥井」を少し歌って、幾月ものお話を、泣いたり笑ったりしながら、

「若君が何とも世間をお分かりにならずにいらっしゃる悲しさを、大臣が朝夕につけて嘆いていらっしゃる〔こと〕」

などと語りなさるにつけ、堪えがたく思っていらっしゃった。尽きるはずもないので、かえって片端さえも言い表すことができない。

夜通し眠らず、詩文を作って夜を明かしなさる。そうは言いながらも、世間の聞こえを憚って、急いでお帰りになる。たいそう名残惜しい。御土器が参って、

「酔いの悲しみに涙が注ぐ、春の盃の裏〔に〕」

と、声を合わせてお唱えになる。お供の人も涙を流す。それぞれ、わずかな間の別れを惜しむようであった。

朝ぼらけの空に雁が連なって渡る。主人の君〔源氏〕は、故郷をいずれの春に行って見ることができるだろう。うらやましいのは帰る雁だ。

宰相は、まったく立ち去る気持ちになれず、飽き足りないのに、雁の常世を立ち別れて、花の都へ、道に迷うことでしょうか。

しかるべき都への土産などが、由緒ある様子で用意されている。主人の君は、このように恐れ多いお見送りに対してと、黒駒を差し上げなさる。

「不吉にお思いになるでしょうけれども、風に当たると、嘶くでしょうから」

と申し上げなさる。世に珍しいほどの御馬の様子である。

「形見として偲んでください」

と言って、たいそう名のある笛などだけは、人の咎めを受けるようなことは、互いに形見として贈ることがおできにならない。

日がだんだんと差し上がって、心が慌ただしいので、振り返ってばかりしながら出て行かれるのを、お見送りなさる様子は、たいそう名残惜しい。

「いつまたお会いできるかは」

と申し上げなさると、主人は、雲の近くを飛び交う鶴も空で見よ。私は春日の曇りのない身なのです。

一方では頼みにもされながら、こうなってしまった者は、昔の賢い人でさえ、きちんと世間に再び交わることは難しかったので、どうして、都の境をまた見ようなどと思うでしょうか」

などとおっしゃる。宰相は、手づるのない雲居に独り、声を立てて鳴く。翼を並べた友を恋いながら。

恐れ多くも親しくお仕え申し上げてきて、今さらのように悔しく思われなさる折が多いこと」

などと、しめやかでもなくお帰りになった名残を、ますます悲しく物思いに暮らしなさる。

底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第12冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。