第9帖 葵 / 第14場面
撫子のかたみと朝顔への文
あらすじ・人物・読み方
源氏は庭の撫子を大宮への歌に託し、大宮も返歌で涙を誘われます。徒然の慰めに、源氏は朝顔の姫君へ文を送り、返事を受け取ります。
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現代語で読む
枯れた下草の中に、龍胆や撫子などが、咲き出ているのを折らせなさって、中将がお立ちになった後に、若君のお乳母の宰相の君を通じて、草枯れの籬に残る撫子を、別れた秋の形見として見ます。ご覧になって、匂いが劣っているでしょうか。「匂いが劣ってご覧になるでしょうか」と申し上げた。本当に何の心もないお笑み顔が、たいそう愛らしい。宮〔大宮〕は、吹く風につけてさえ、木の葉よりももろいお涙が、まして、取り上げなさることができない。
今も見て、かえって袖を朽たしてしまうなあ。垣根も荒れてしまった大和撫子を。やはり、たいそう徒然なので、朝顔の宮に、「今日の哀れは、それでもお見知りくださるだろう」と推し量られるお心構えなので、暗い頃だけれど、申し上げなさる。絶え間が遠いけれど、それなりの物となったお文なので、咎めなくご覧に入れる。空の色をした唐の紙に、
とりわけこの夕暮れこそ袖は露に濡れています。物思う秋は数多く経たけれど、いつも時雨は。「いつも時雨は」とある。お筆などに心を留めてお書きになっているのが、常よりも見どころがあって、「過ごしがたい頃です」と人も申し上げ、ご自身もお思いになるので、「大内山を、思いやり申し上げながら、どうして」と言って、
秋霧に立ち遅れないと聞いた時から、時雨れる空もどうだろうと思います。とだけ、ほのかな墨つきで、思いなし心憎い。
何事につけても、見まさることは難しい世であるのを、つれない人だけはと、しみじみお思いになる方のお心の様子である。「つれないながら、然るべき折々の哀れをお過ごしにならない、これこそ、互いに情けも見届けることができる業だろう。やはり、教養があり趣があり、人目に見えるばかりであるのは、あまりの難点も出て来た。対の姫君を、それほど生かし立てまい」とお思いになる。「徒然で恋しいと思っているだろう」と、忘れる折もないけれど、ただ女親のいない子を、置いている心地がして、見ない間は、心配で、「どう思っているだろう」と思いやらないのが、心安い業だった。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第9冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。