第9帖 葵 / 第3場面
車争い
あらすじ・人物・読み方
御禊の見物に出た葵の上の車と、忍びで来た六条御息所の車が場所を争い、御息所の車は奥へ押しやられてしまいます。屈辱に、御息所は歌を詠みます。
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現代語で読む
大殿では、このようなお出歩きもめったになさらない上に、ご体調まで思わしくないので、思いもかけなかったのを、若い女房たちが、「まあ。私たちだけ隠れて見るのでは、つまらないでしょう。世間の人でさえ、今日の見物には、大将殿をこそは、卑しい山賤までも拝もうとするそうです。遠い国々から、妻子を引き連れてまで参上して来るというのに。ご覧にならないのは、あまりにももったいないことです」と言うのを、大宮がお聞きになって、「ご体調もよい折です。お仕えする女房たちも退屈そうです」と言って、急に車の手配をお命じになって、ご覧になる。
日が高くなって、行列も仰々しくない様子で出ていらっしゃった。隙間もなく立ち並んでいる所に、立派に列を連ねて立つのに苦労する。よい女房車が多くて、雑多な人のいない隙間を見定めて、皆を押し退けさせる中に、網代車で少し古びたのが、下簾の様子など趣深く、奥深く引き入れて、ほのかに見える袖口、裳の裾、汗衫など、物の色が、とても清らかで、わざと目立たなくした様子がはっきり見える車が、二台ある。
「これは、決して、そのように押し退けなどすべきお車ではない」と、口が強くて、手を触れさせない。どちらの側も、若い者どもが酔い過ぎて、立ち騒いでいるほどのことは、抑えきれない。大人しく落ち着いたお側の人々は、「するな」などと言うけれど、止めきれない。
斎宮のお母君の御息所が、物思いに乱れる心の慰めにもなろうかと、忍んで出ていらしたのだった。知らないふりを装うけれど、自然と見分けがついた。「それほどまでなら、そんなことを言わせるな」「大将殿をこそ、大邸宅ではお思い申し上げているのだろう」などと言うのを、そのお方の人も混じっているので、気の毒に見ながら、手配するのも面倒なので、知らない顔を作る。
とうとう、お車を立て続けられたので、蔀の奥に押しやられて、何も見えない。不快なのはもとより、このように目立たなくしているのを、それと知られてしまったのが、たいそう悔しいこと、限りない。榻なども皆押し折られて、むやみな車の筒に寄りかけたので、またとなくみっともなく、悔しく、「何のために、来たのだろう」と思ってもかいがない。何も見ずに帰ろうとなさるけれど、通り出る隙間もないところに、
「大変なことになった」と言うと、さすがに、つれないあの人のお通りが待たれるのも、心弱いことだ。「笹の隈」にさえいないためか、素っ気なくお通りになるにつけても、かえってお心が尽きない。なるほど、常よりも好んで整えた車どもが、我も我もと乗りこぼれた下簾の隙間からも、知らない顔ではあるけれど、微笑みながら後ろ目に留めていらっしゃる方もある。大殿の車は、目立つので、真面目な様子でお通りになる。お供の人々が畏まり、心構えをしながら通るのを、圧倒された様子が、格別にお思いになる。
姿だけを映す御手洗川のつれなさに、わが身の辛さのほどが、ますます思い知らされます。と、涙がこぼれるのを、人が見るのもみっともないけれど、目も眩むようなご様子、容貌が、「これほどまでに際立った立派さを見なかったならば」とお思いになる。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第9冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。