第10帖 賢木 / 第16場面
朝顔斎院への文
あらすじ・人物・読み方
近くの賀茂斎院・朝顔の姫君にも文を贈り、木綿欅に寄せた歌を交わします。帰京の道すがら、源氏はなお昔の人々に思いを残します。
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現代語で読む
吹き交う風も近い距離なので、斎院にもお便りなさっていた。中将の君に、「このように、旅の空で、物思いにさまよい出ておりましたが、お察しいただくこともないでしょう」などと、怨み言をなさって、御前には、口に出すのは恐れ多いけれども、その昔の秋が思い出される、木綿を掛けた欅であることよ。昔を今にと、お思いになるのも甲斐なく、取り返されるものであるかのように」と、親しげに、唐の浅緑の紙に書き、榊に木綿を付けるなど、神々しく仕立ててお送りなさる。
お返事は、中将が取り次いで、「紛れることもなくて、過ぎた日のことを思い出しなさる所在なさのままには、思いやり申し上げることが多くございますけれど、甲斐ないことばかりでございます」と、少し心を留めて多くあった。御前のお返事は、木綿の片端に、その昔は、どうであったのでしょうか、木綿欅よ。心にかけて偲ぶであろうわけを。近ごろの世になって」とある。
「ご筆跡は、細やかではないけれど、達者に、草書などを興趣深くお書きになるようになった。まして、朝顔も成人なさっているだろう」と思われるのも、ただ事ではなく、恐ろしいことよ。「あはれ、近ごろのことだ。野の宮のしみじみとしていたこと」とお思い出になって、「不思議に、世の常のもの」と、神を恨めしくお思いになるご癖は、見苦しいことであるよ。無理にお思いになったなら、そうもあり得た年ごろは、のどかにお過ごしになって、今は悔しくお思いでいらっしゃるようであるのも、不思議なお心であることよ。
院も、このように並々でないお心ばえを見知り申し上げていらっしゃったので、たまたまのお返事などは、そうまでそっけなくし申し上げることもないようである。少しつまらないことであるよ。
六十巻という書物をお読みになり、気がかりな所々を解釈させたりしていらっしゃるのを、「山寺には、すばらしい光を修行によってお出し申し上げた」と、「仏のお顔が立つ」と、身分の低い法師たちまでも喜び合っていた。静かに、世の中をお思い続けになるにつけて、お帰りになることも物憂いにちがいないけれど、お一人の御事をお思いになるのが束縛なので、長くもいらっしゃることができず、寺でも御誦経を厳かにおさせになる。ふさわしい限り、上下の僧たち、その辺りの山賤まで品物をお与えになり、尊いことの限りを尽くしてお出になる。お見送り申し上げようと、あちこちに、身分の低い老いた者どもも集まっていて、涙を落としながら拝見する。黒い御車のうちで、藤色の御袂に身をやつしていらっしゃるので、格別にはお見えにならないが、ほのかなご様子を、世にないものと思い申し上げるようである。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第10冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。