第10帖 賢木 / 第2場面
野の宮への訪問
あらすじ・人物・読み方
九月七日ごろ、源氏は嵯峨野の野宮を訪れます。秋の野辺のあはれな景色の中、御息所は物越しの対面をためらいながらも、やがて簀子に上がることを許します。
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九月七日ごろなので、「まったくいよいよ今日明日」とお思いになると、女方も気忙しいけれども、「立ちながらでも」と、たびたびお手紙があるので、「どうしたものか」とお迷いになりながらも、「あまりに控えめ過ぎるから、物越しのご対面だけなら」と、人知れずお待ち申し上げていらっしゃったのであった。
広々とした野辺に分け入って行かれるなり、たいそう物悲しい感じがする。秋の花はみな萎れかかり、浅茅が原も枯れがれとなって、虫の音も鳴きしぼんでいるところに、松風が身にしみるように音を添え、どの楽器の音とも聞き分けられないほどに、楽の音が絶え絶えに聞こえてくるのは、まことに優艶である。
気心の知れた御前駆は十余人ほど、御随身も目立たない姿で、たいそうお忍びでいらっしゃるが、格別にお気を配ったご様子は、まことに見事にお見えになるので、お供の風流者たちは、場所が場所だけに身にしみて感じ入っていた。ご自身のお心にも、「どうして、今まで通って来なかったのだろう」と、過ぎ去った日々を、悔やまずにはいられない。
何となくはかない小柴垣を外囲いにして、板屋が幾棟もあちこちに、いかにも仮ごしらえである。黒木の鳥居どもは、さすがに神々しく眺められて、遠慮される気配であるが、神官たちがあちこちで咳払いをして、仲間同士で何か話している様子なども、他所とは様子が違って見える。火焼屋がかすかに明るく、人影も少なく、しんみりとしていて、ここに物思いに沈むお方が、幾月日も世を隔てて過ごしてこられた間のことをご想像なさると、たいそう切なく、いたわしい。
北の対の適当な所にお立ち隠れになって、ご来訪の旨をお申し入れなさると、管弦の遊びはみな止んで、奥ゆかしい気配が、あれこれと聞こえてくる。
何やかやと人づてのご挨拶ばかりで、ご自身がお会いなさる様子もないので、「まことに面白くない」とお思いになって、「このような外出も、今は身分にふさわしくないほどになってしまいましたことを、お察しいただけるなら、このように注連縄の外に立たせておくようなことはなさらないで。胸に鬱々とたまっていることも、晴らしたいものです」と、真面目に申し上げなさると、女房たちは、「おっしゃるとおり、とても見てはいられませんわ」「お立ちになったままお困りでいらっしゃるのに、お気の毒で」などと、お取りなし申し上げるので、「さてどうしたものか。ここの女房たちの目にも体裁が悪いでしょうし、あの方がお思いになることも、年甲斐もなく、端近に出て行くのが、今さら気後れもする」とお思いになると、たいそう億劫であるが、冷淡な態度をとるほど気強くもいらっしゃらないので、あれこれ溜息をつきためらって、いざり出ていらっしゃったご様子は、まことに奥ゆかしい。
「こちらでは、簀子に上がるほどのお許しはございましょうか」とおっしゃって、上がってお座りになった。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第10冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。