第10帖 賢木 / 第26場面
韻塞ぎの遊び
あらすじ・人物・読み方
夏の雨の日、二条院で韻塞ぎの勝負が行なわれます。源氏の才は人々を感嘆させ、中将の子の「高砂」に源氏は御衣を脱いで与えます。
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現代語で読む
夏の雨が、のどかに降って、所在ないころ、中将は、ふさわしい詩集どもを数多く持たせて参上なさっていた。お邸でも、文殿をお開けさせになって、まだ開かない御厨子どものうち、珍しい古集で由緒の少なくないものを、少しお選び出しになって、その道の人々を、わざとではないけれど大勢お召しになっていた。殿上人も大学の者も、たいそう大勢集まって、左右に小間取りに方をお分かせになっていた。賭け物どもなどは、たいそう二つとないほどで、競い合っていた。
韻塞ぎが進んでゆくままに、難しい韻の文字どもがたいそう多くて、評判のある博士どもなどが惑う所々を、時々おっしゃるご様子は、まことにこの上ない御才のほどである。「どうして、こうまでお具えになったのだろう」「やはりふさわしいことで、万事は、人に優れていらっしゃるのであった」と、お褒め申し上げる。とうとう、右が負けてしまった。
二日ほどあって、中将が負けの償いをなさっていた。大げさではなく、艶めかしい桧破籠どもや、賭け物などあれこれで、今日も例の人々を、多くお召しになって、漢詩などをお作らせになる。階のもとの薔薇が、風情ばかりに咲いて、春秋の花盛りよりもしっとりと趣のあるころなので、打ち解けてお遊びになる。
中将の御子が、今年初めて殿上する、八つ、九つほどで、声がたいそうおもしろく、笙の笛を吹くなどするのを、かわいがっておもてなしになる。四の君のお腹の二郎であった。世の人の思いの寄せが重くて、評判格別に大切にされていた。気立ても賢く、容貌も趣があって、御遊びが少し乱れてゆくころに、「高砂」を出して謡うのは、たいそうかわいらしい。大将の君は、御衣をお脱ぎになってお与えになる。
例よりは、打ち乱れていらっしゃるお顔の美しさが、似るものがなく見える。薄物の直衣や単衣をお着けになっているのに、透けていらっしゃる肌つきが、ましてこの上なく見えるのを、年老いた博士どもなどが、遠くから拝見して、涙を落としながら座っていた。「逢はましものを、小百合ばの」と謡う締めくくりに、中将が、御土器をお持ちになる。あれもかと、今朝開けた初花に劣らないあなたの美しさを、拝見します。微笑んで、お受け取りになる。時ならず今朝咲く花は、夏の雨にしおれてしまったらしい。匂う間もなく。衰えてしまったものを」と、騒ぎ立てて、騒々しく聞こし召したことにして、お咎め出ししながら、無理に申し上げなさる。
多かったであろう言葉どもも、このような折の完全でないことを、数々に書き作るのは、心地ない業とか、貫之の諌めが廃れる方で、難しいので、やめておいた。みな、この御事をお褒めする筋にばかり、大和の歌も唐の詩も作り続けていた。ご自身のお気持ちでも、たいそう思い上がっていらっしゃって、「文王の子、武王の弟である」と、口ずさみなさるお名乗りまでもが、なるほど、見事である。「成王の何」とか、おっしゃろうとするのだろう。そればかりであろうか、また頼りなくもあるだろう。
兵部卿宮も常にお渡りになりながら、御遊びなども、趣深くいらっしゃる宮なので、今めかしい御遊びどもである。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第10冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。