第10帖 賢木 / 第9場面
桐壺院の崩御
あらすじ・人物・読み方
大后の参上も待たず、桐壺院は崩御します。四十九日が過ぎ、藤壺は三条の宮へ移り、兵部卿宮や王命婦と御前で故院を偲ぶ歌を交わします。
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現代語で読む
大后も、参上なさろうとするのを、中宮がこのように寄り添っていらっしゃるので、お心が置かれて、お決めかねていらっしゃるうちに、大げさなご様子にもおなりにならず、お隠れあそばされた。足が地につかないほど、思い惑う人が多かった。
御位をお去りになったというばかりでこそあれ、世の政務をお治めになっていたことも、ご在位の頃と変わらなかったのを、帝はたいそう若くていらっしゃる、外祖父の大臣はたいそうひどく癖が悪くていらっしゃって、その方の意のままになるであろう世の中を、どうなることかと、上達部も殿上人も、みな思い嘆いている。
中宮、大将殿などは、まして人一倍、物思いにも身が入らず、後々の御法事などを、孝養を尽くしてお仕え申し上げるご様子も、数多い親王たちの中で抜きん出ていらっしゃるのを、道理とはいえ、まことにしみじみと、世間の人も拝見する。藤色の御衣に身をやつしていらっしゃるにつけても、限りなく美しく痛々しいほどである。去年、今年と続けて、このようなことを御覧になるにつけて、世の中もたいそうつまらなくお思いになるけれども、このような折にも、まずお思い立ちになることはあるけれど、また、あれこれのご束縛が多いのである。
御四十九日までは、女御、御息所たちは、みな、院に集まっていらっしゃったのを、過ぎてしまうと、散り散りにお退出になる。師走の二十日であるので、大方の世の中が閉ざされてゆく空の様子につけても、まして晴れることのない世にいる、中宮のお心のうちである。大后のお心もお分かりなので、意のままになる世の中で、体裁悪く住み心地が悪かろうことをお思いになるよりも、お慣れ申し上げてきた年ごろの御様子を、思い出し申し上げない時がないのに、こうしてはいらっしゃれないと、みながあちこちへお出になってしまう折に、悲しいことは限りない。
宮〔藤壺〕は、三条の宮にお移りになる。お迎えに兵部卿宮が参上なさっていた。雪が降り散り、風が激しくて、院の内は、だんだん人目も絶えてゆき、静かであるところに、大将殿が、こちらに参上なさって、昔の御物語を申し上げなさる。御前の五葉松が雪にしおれて、下葉の枯れているのを御覧になって、親王〔兵部卿宮〕は、蔭の広さに頼りにしていた松も、枯れてしまったのだろうか。下葉の散ってゆく年の暮れであることよ。何ほどのことでもないのに、折柄、物悲しくて、大将の御袖がひどく濡れてしまった。池が隙間なく凍っているところに、冴え渡る池の鏡の明るさに、見慣れていた面影を見ないのが悲しい。と、お思いのままに、あまりに若々しくていらっしゃる。王命婦は、年が暮れて、岩井の水も凍り閉じて、見た人の面影も、次第に褪せてゆくことよ。そのついでに、たいそう多かったけれども、そうまで書き続けるべきことだろうか。
お移りになる儀式は、変わらないけれども、思いなしにしみじみとして、古い宮の方は、かえって旅にいる心地がなさるのにも、お里住まいが絶えていた年月ほどを、思い巡らさずにはいらっしゃれないのであろう。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第10冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。