第14帖 澪標 / 第10場面
五月雨の花散里
あらすじ・人物・読み方
五月雨の頃、源氏は花散里のもとを訪れる。水鶏の声に寄せた歌の贈答が、しめやかに続く訪問を飾る。
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現代語で読む
五月雨で徒然な頃、公私ともに物静かな折に、〔源氏は〕思い立って〔花散里のもとへ〕お渡りになった。よそながらも、明け暮れごとに万事にお心を配りお訪ね申し上げなさるのを頼みにして過ごしていらっしゃる所なので、〔花散里は〕今風に心憎いふうに振る舞って、側にいながら恨み言を言うような方ではないので、〔源氏は〕気楽な心地である。お住まいは年ごとにますます荒れて、寂しげな様子でいらっしゃる。
〔源氏は〕女御の君〔麗景殿女御〕にお話を申し上げて、西の妻戸のそばに夜更けに立ち寄りなさった。月が朧に差し入って、ますます艶やかな御振る舞いが、尽きることなく見えなさる。〔花散里は〕ますます慎み深いけれど、端近く眺めていらっしゃる様子そのままに、のどかでいらっしゃる気配は、たいそう好ましい。水鶏がたいそう近くで鳴いたのを〔聞いて、源氏は〕、
せめて水鶏だけでも戸を叩いて知らせてくれなかったら、どのようにして、荒れた宿に月(私)を入れることができましょう。
と、たいそう懐かしげに、言いさしなさったのが、
「それぞれに捨てがたい世であることよ。このような方こそ、かえって身も苦しい」
とお思いになる。
どの家の戸でも叩く水鶏の音に、いちいち驚いて戸を開けていたら、うわの空である月までも入ってきてしまいます。
気がかりなことです」
とは、言葉ではそのように申し上げなさるけれど、浮気な筋などを疑うような御気立てではない。長年、〔源氏を〕待ち過ごし申し上げてきたことも、決して疎かには思われなかったのである。「空しく眺めるな」と、お頼み申し上げた折のことも、〔源氏は〕お話し出して、
「どうして、比べるものもあるまいと、ひどく物思いに沈んだのだろう。憂き身からすれば、同じ嘆かしさであるのに」
とおっしゃるのも、穏やかで愛らしい。いつものように、どこの御言葉であろうかと思われるほど、尽きることなく語らい慰め申し上げなさる。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第14冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。