第19帖 薄雲 / 第10場面
帝の苦悩と譲位の思い
あらすじ・人物・読み方
秘密を知った冷泉帝は、亡き院への気がかりと、ただ人として仕える源氏への申し訳なさに思い悩む。帝は心安い暮らしを望んで源氏に漏らすが、源氏は固く諫め、若い帝は言い出せずになつかしく語らうばかりである。秋の司召のついでに帝が源氏を親王にと漏らしても、源氏は亡き院の御心を引いて固辞する。
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現代語で読む
主上〔冷泉帝〕は、夢のように大変なことをお聞きになって、さまざまにお思い乱れなさる。
「亡き院〔桐壺院〕のためにも気がかりで、大臣〔源氏〕がこのようにただ人として世にお仕えなのも、あわれで畏れ多いことだった」
あれこれお思い悩んで、日が高くなるまでお出ましにならないので、「このような御様子です」とお聞きになって、大臣〔源氏〕も驚いて参上なさったのをご覧になるにつけても、ますます堪えがたくお思いになって、御涙がこぼれ落ちなさったのを、
「おおかた亡き宮〔藤壺〕の御事を、絶え間なくお思いになっている頃だからなのだろう」
と〔源氏は〕拝見なさる。
その日、式部卿の親王が亡くなられた旨を奏上すると、ますます世の中の騒がしいことを嘆きお思いになっていた。このような頃なので、大臣〔源氏〕は里〔二条院〕にも退出なさることができず、ずっとお側に侍りなさる。
静かな御物語のついでに、
「世は終わろうとしているのだろうか。なんとなく心細く、例ならぬ気持ちがするのを、天下もこのようにのどかでない折に、万事が慌ただしい。亡き宮〔藤壺〕のお思いになるだろうところによってこそ、世間のことも思い憚ってきたが、今は心安い様子ででも過ごしたいと思う」
と〔帝は源氏に〕お語り申し上げなさる。
「たいそうあってはならない御ことです。世の静かでないことは、必ずしも政事が真っ直ぐであるか、曲がっているかによるわけではございません。賢い〔帝の〕世にこそ、良くないことどももございました。聖帝の世にも、横道の乱れが起こることは、中国にもございました。わが国にもそのようでございます。まして、定めの寿命どもの、時が至ったのを、お嘆きになるべきことでもございません」
などと、すべて多くのことどもを〔源氏は帝に〕申し上げなさる。その片端を書き写すのも、たいそう傍らにいるのが辛いほどであるよ。
常よりも黒い御装いで、やつしていらっしゃる〔源氏の〕御容貌は、〔帝と〕違うところがない。主上〔冷泉帝〕も、年来御鏡を見ても、思い当たることではあったけれど、お聞きになった事の後は、また細かに拝見申し上げなさりながら、特にたいそうあわれにお思いになるので、「なんとか、このことをそれとなく申し上げたい」とお思いになるけれど、さすがに、中途半端にもお思われてしまうはずのことなので、若い御心には遠慮されて、すぐには言い出し申し上げなさることができない間は、ただ一般のことどもを、常よりも特に懐かしくお話し申し上げなさる。
恐縮していらっしゃる様子で、たいそう御様子が格別なのを、賢い人〔源氏〕の御目には、不思議だと拝見なさるけれど、これほどはっきりとお聞きになったとはお思いにならなかった。
主上は、王命婦に詳しいことを、尋ねたくお思いになるけれど、
「今になって、あのようにお隠しになったことを知ったと、あの人〔王命婦〕にも思われたくない。ただ、大臣〔源氏〕になんとかほのめかして問い申し上げて、以前にかかる事の例があったかどうかを尋ねて聞こう」
とお思いになるけれど、まったく機会もないので、ますます御学問をなさりながら、さまざまの書物どもをご覧になると、
「中国には、表れても隠れても、乱れた事がたいそう多かった。日本には、まったくご覧になって得るところがない。たとえあったとしても、このように隠されていたことを、どうして伝え知る方法があろうとするのか。一世の源氏が、また納言、大臣になって後に、さらに親王にもなり、位にもお即きになったのも、多くの例があった。人柄の賢さにかこつけて、そのように〔位を〕お譲り申し上げることもできようか」
などと、万事につけてお思いになっていた。
秋の司召に、〔源氏が〕太政大臣におなりになるべきことを、内々に定め申し上げなさるついでに、帝〔冷泉帝〕が、お思い寄せる筋のことを、漏らし申し上げなさったのを、大臣〔源氏〕は、たいそう眩しく、恐ろしくお思いになって、まったくあってはならない旨を申し返しなさる。
「亡き院〔桐壺院〕の御心ざしは、多くの皇子たちの中で、特に〔私を〕お思いになりながら、位をお譲りになることをお思い寄せにならなかったのでございます。どうして、その御心を改めて、及ばない身分に上りましょう。ただ、元の御定めのままに、朝廷にお仕え申し上げて、今少し年が重なりましたら、のどかな行いに籠もりたいと思っております」
と、常の御言葉と変わらず奏上なさるので、〔帝は〕たいそう残念にお思いになった。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第19冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。