第19帖 薄雲 / 第9場面
僧都、帝に秘密を告げる
あらすじ・人物・読み方
藤壺の祈りの師だった老僧都は、内裏に召されて侍る静かな暁、冷泉帝に奏上しがたい大事があると切り出す。長く心に秘めてきた出生の秘密を詳しく奏上すると、帝は驚き悲しんで心を乱し、僧都は王命婦のほかに知る者はいないと泣く泣く申し上げて退出する。
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現代語で読む
〔藤壺の〕ご法事なども過ぎて、諸事が落ち着いて、帝〔冷泉帝〕は、なんとなく心細くお思いになっていた。この入道の宮〔藤壺〕のお母后の御代から伝わって、代々のご祈祷の師としてお仕えしていた僧都は、亡き宮〔藤壺〕にもたいそう重んじられ親しい者とお思いになっていた方で、朝廷でも重いご信任があり、厳かなご祈願を多く立てて、世に優れた聖であったが、年は七十ほどで、今は臨終の行いをしようと籠もっていたところ、宮〔藤壺〕のご事によって出てきたのを、内裏からお召しがあって、常にお側に侍らせなさる。
このごろは、なお元のように参上してお仕えすべき旨を、大臣〔源氏〕もお勧め申し上げなさるので、
「今は、夜のお勤めなど、たいそう堪えがたく思われますが、仰せの畏れ多さにより、昔からの志を添えて〔お仕えいたします〕」
と言って、お仕えしていると、静かな暁に、〔帝の〕近くに人も侍らず、ある者は退出したりする折に、昔風に咳払いをしながら、世の中のことどもを奏上なさるついでに、
「たいそう申し上げにくく、かえって罪にでも当たりはしないかと、憚られる点が多くございますが、〔帝が〕ご存じでないままでは罪が重く、天の眼が恐ろしく思われますことを、心にむせびながら抱えておりまして、このまま命が終わりましたら、何の甲斐がありましょう。仏も心が汚いとお思いになるでしょう」
とだけ奏上して途中で止め、言い出せないことがある。
主上〔冷泉帝〕は、「何事だろう。この世に恨みが残るほどに思うことがあるのだろうか。法師は、聖とはいえ、あってはならない横道の嫉みが深く、厄介なものであるものを」とお思いになって、
「幼かった時から、隔てて思うことのなかったそなたに、このように隠し残されたことがあったのを、つらく思った」
とおっしゃると、
「ああ畏れ多い。まったく、仏の諌めをお守りになる真言の深い道でさえ、隠し留めることなく広めお仕えしております。まして、心に隈のあることなど、どうしてございましょう。
これは過去にも将来にも関わる大事でございますことを、亡くなられた院〔桐壺院〕、后の宮、ただ今政務を執りなさる大臣〔源氏〕のためを思うと、すべて、かえって良くない事になりはしないかと漏れ出るのを〔憚ってまいりました〕。このような老法師の身には、たとえ嘆くことがあっても、何の悔いがありましょう。仏天のお告げがあるによって奏上するのでございます。
わが君〔冷泉帝〕がお腹にお宿りになった時から、亡き宮〔藤壺〕が深くお思い嘆くことがあって、ご祈祷をおさせになった次第でございました。詳しくは法師の心にも悟ることができませんでした。事の行き違いがあって、大臣〔源氏〕が横道の罪に当たられた時、ますます恐れてお思いになって、重ねてご祈祷どもを承っておりましたのを、大臣もお聞きになって、さらに言い添えて仰せられ、〔帝が〕御位にお即きになるまでお仕えしたことどもがございました。
その承った様子を」
と言って、詳しく奏上するのをお聞きになると、驚きあきれるほど珍しいことで、恐ろしくも悲しくも、さまざまに御心が乱れた。
としばらく、御応えもないので、僧都は、「進んで奏上したのを不都合にお思いなのだろうか」と、煩わしく思って、そっと恐縮して退出するのを、お召し止めになって、
「心に知らずに過ごしていたなら、後の世までも咎めがあるはずだったことを、今まで隠し籠められていたのを、かえって気がかりな心だと思った。またこの事を知って漏らし伝える類の者はいるだろうか」
とおっしゃる。
「まったく、私と王命婦とよりほかの人は、この事の様子を見た者はございません。それゆえ、たいそう恐ろしくございます。天変がしきりに兆しを示し、世の中が静かでないのは、この気配です。たいそう幼く、物事の心をご存じでないはずだった間こそございましたが、次第に御齢が満ちられて、何事もお弁えになるべき時に至って、〔天が〕咎をも示すのです。万事は、親の御代から始まるものでございます。何の罪ともご存じでないのが恐ろしいので、心に抑えて消してきたことを、まったく心から出し申し上げた次第です」
と、泣く泣く申し上げるうちに、夜が明け果てたので、〔僧都は〕退出した。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第19冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。