ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第21帖 少女 / 第22場面

六条院の造営と移転

あらすじ・人物・読み方

源氏は六条京極に四町を占める六条院の造営を進め、式部卿宮の五十の賀の準備と合わせていそがせる。四季に配した町々が完成し、彼岸の頃に移転が行われ、中宮もやがて移ってくる。

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現代語で読む

大殿〔源氏〕は、静かな御住まいを、どうせなら広く見どころがあって、ここかしこで心もとない山里人などをも、集めて住まわせようとの御心で、六条京極のあたりに、中宮〔秋好中宮〕の御古い宮のほとりを、四町を含めてお造らせになる。

式部卿宮が、明ける年には五十におなりになる御賀のことを、対の上〔紫の上〕がお考えになるにつけて、大臣〔源氏〕も、「本当に、過ごし難いことどもだ」とお思いになって、「そのような御用意も、同じく珍しいだろう御住まいで」と、おいそがせになる。

年が改まって、ますますこの御用意のことや、御年醸のこと、楽人や舞人の定めなどを、御心に入れてお営みになる。経や仏や、法事の日の装束や禄などを、上〔紫の上〕はおいそがせになっていた。

東の院に、別にしてなさることどもがある。御交わりは、ますますたいそう風流に申し交わして、お過ごしになっていた。

世の中が響き揺れるほどの御用意であるのを、式部卿宮もお聞きになって、

「長年、世の中には広い御心だけれど、このあたり〔式部卿宮の家〕をばあいにく情けなく、事に触れて辱め、宮人にも御用意がなく、恨めしいことばかりが多いので、辛いと思い置きなさることはあったでしょう」

と、気の毒にも辛くもお思いになっていたのを、このように大勢関わっておいでの人々が多い中に、取り分けた御思いが優れて、世に奥ゆかしく見事なこととして、大切に思われておいでの御宿世を、わが家までは匂っては来ないけれど、面目にお思いになるにつけて、また、

「このようにこの世に余るほど、響かせてお営みになるのは、思いもかけない年齢の末の栄えでもあるのだろうか」

とお喜びになるのを、北の方は、「満足できず、忌々しい」とばかりお思いになっていた。女御は、御交わりの程などにも、大臣の御用意がないようなのを、いよいよ恨めしく思い染みておいでのようである。

八月に、六条院を造り終えてお移りになる。未申〔南西〕の町は、中宮の御古宮なので、そのままおいでになるはずである。辰巳〔南東〕は、殿〔紫の上〕がおいでの町である。丑寅〔北東〕は、東の院にお住まいの対の御方〔花散里〕、戌亥〔北西〕の町は、明石の御方とお決めになっていた。もとあった池や山をも、不都合な所であるのを崩し変えて、水の趣や山の配置を改めて、さまざまに、御方々の御願いの気立てをお造らせになっていた。

南の東〔辰巳の町〕は、山が高く、春の花の木を、数を尽くして植え、池の様子が趣深く優れて、御前近くの前栽には、五葉、紅梅、桜、藤、山吹、岩躑躅などのような、春の慰みをわざわざは植えないで、秋の前栽を、所々にほのかに混ぜてある。

中宮の御町は、もとの山に、紅葉の色が濃くなるはずの植木どもを添えて、泉の水を遠く澄ましやり、水の音が勝るはずの巌を立て加え、滝を落として、秋の野を遥かに作ってあるのが、その頃に合って、盛りに咲き乱れている。嵯峨の大堰のあたりの野山が、無徳にも圧倒された秋である。

北の東〔丑寅の町〕は、涼しげな泉があって、夏の蔭に寄っている。前近くの前栽には、呉竹を、下風が涼しいはずで、木高い森のような木どもが木深く趣深く、山里らしくして、卯の花の垣根を格別に巡らして、昔を思わせる花橘、撫子、薔薇、苦丹などのような花や草々を植えて、春秋の木草を、その中に打ち混ぜてある。東面は、別に馬場の御殿を作り、埒を結って、五月の御遊び所として、水のほとりに菖蒲を植え茂らせて、向かいに御厩を作って、世にない上馬どもを整え立てさせなさっていた。

西の町〔戌亥の町〕は、北面を築き分けて、御倉町である。隔ての垣に松の木が茂く、雪を慰みなさる手がかりに寄せてある。冬の初めの朝、霜が結ぶはずの菊の籬や、我こそはという顔の柞原、めったに名も知らない深山木どもの、木深いものなどを移し植えてある。

彼岸の頃にお移りになる。一度にとお決めになっていたけれど、騒がしい様子だと言って、中宮は少し延ばさせなさる。例の穏やかで気取らない花散里が、その夜、添ってお移りになる。

春の御しつらいは、この頃には合わないけれど、たいそう心が格別である。御車は十五、御前駆は四位五位がちで、六位の殿上人などは、しかるべき限りをお選びになっていた。仰々しいほどではなく、世のそしりもあるかとお省きになるので、何事も仰々しく厳めしいことはない。

今一方〔明石の君〕の御様子も、めったにお落としにならず、侍従君〔夕霧〕が添って、そちらは大切にお世話なさるので、本当にこうもあるべきことだったのだなと見えた。

女房の曹司町どもが、それぞれに割り当てられた細やかさは、大方のことよりも見事であった。

五、六日過ぎて、中宮がお出ましになる。この御様子はまた、そうは言っても、たいそう窮屈である。御幸いが優れておいでだったことは言うまでもなく、御様子が奥ゆかしく重々しくおいでなので、世に重く思われなさっていることが、優れておいでだった。

この町々の中の隔てには、塀どもや廊などを、あれこれ行き通わせて、親しく趣のある間合いにしなさっていた。

底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第21冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。