第21帖 少女 / 第5場面
夕霧の勉学、大学へ
あらすじ・人物・読み方
源氏は夕霧を六条院に籠もらせ、学識深い師のもとで本格的に学問させる。夕霧はわずか四、五か月で『史記』を読み終え、源氏の御前の試しでも見事に読み通して一同を泣かせ、やがて大学へ参る日を迎える。
下の同じ枠で原文・発音の読み・現代語を一節ずつ確認できます。どの読み方から始めても読了を記録できます。
表示と音声の設定
現代語で読む
引き続いて、入学ということを〔夕霧に〕させなさって、そのまま、この院〔六条院〕の内に御曹司〔勉強部屋〕を作って、誠実で学識の深い師に〔夕霧を〕お預け申し上げなさって、学問をさせ申し上げなさったのである。
大宮の御もとにも、めったに参上なさらない。〔大宮が〕夜も昼も可愛がって、なお幼児のようにばかりお世話申し上げなさるので、あちら〔大宮のもと〕では、物を習うことができなさそうだということで、静かな所に〔夕霧を〕籠もらせ申し上げなさったのである。
「一月に三度ほど参上なさい」
と、〔源氏は大宮に〕お許し申し上げなさった。
〔夕霧は〕ずっと籠もっておいでになって、所在ないままに、殿〔源氏〕を、
「〔父上は〕つれなくていらっしゃることよ。このように苦しくなくても、高い位に昇り、世に用いられる人はなくはないのに」
と思い申し上げなさるけれど、〔源氏の〕大方の人柄が、誠実で、浮ついたところなくいらっしゃるので、〔夕霧は〕たいそうよく堪えて、
「何とかして然るべき書物どもを早く読み終えて、交わりもして、世にも出たいものだ」
と思って、わずか四、五か月のうちに、『史記』などの書物を、読み終えてしまわれなさった。
今は寮試を受けさせようということで、まず〔源氏は〕ご自身の御前で試させなさる。
例によって、大将〔内大臣〕、左大弁、式部大輔、左中弁などばかりを〔同席者として〕、師の大内記をお呼びになって、『史記』の難しい巻々を、寮試を受ける際に、博士が問い返すはずの節々を引き出して、一通り読ませ申し上げなさると、至らない句もなく、あちこちを通して読みなさる様子が、爪印も残らず、驚くほど見事なので、
「〔合格〕なさるはずでいらっしゃったのだ」
と、誰も彼も、涙をお落としになる。大将〔内大臣〕は、まして、
「亡き大臣が生きておられたら」
と、申し上げ始めてお泣きになる。殿〔源氏〕も、心強く振る舞うことがおできにならず、
「人の身の上について、堅苦しいことだと見聞きしておりましたが、子が大人びていくのに、親が代わって愚かになっていくことは、大した年齢でもないながら、このような世であったのですね」
などとおっしゃって、〔涙を〕押し拭いなさるのを見る師の気持ちは、嬉しく面目があると思っていた。
大将〔内大臣〕が盃を差し上げなさると、〔師は〕ひどく酔い痴れている顔つきで、たいそう痩せている。
世の偏屈者であって、才能のほどほどには用いられず、冷遇されて身は貧しくあったのを、〔源氏が〕ご覧になって認めるところがあって、このように特に呼び寄せなさったのである。
身に余るほど御目をかけていただいて、この君〔夕霧〕の御徳によって、たちまち身分を変えたと思うと、まして行く先は、並ぶ人のない評判になるだろうよ。
大学に参上なさる日は、寮の門に、上達部の御車どもが数知れず集まっていた。大方、世に残っている車はないだろうと見えた〔ほどの〕ところに、またとなく大切に世話されて、着飾ってお入りになる冠者の君〔夕霧〕の御様子は、本当に、このような交わりには堪えないほど、高貴で美しそうである。
例の、身分の低い者たちが立ち交じって来て座っている座の末席を〔夕霧が〕屈辱とお思いになるのは、たいそうもっともなことであるよ。
ここでもまた、〔出来の悪い者を〕下ろして罵る者どもがいて、目覚ましいことだが、少しも臆せず〔夕霧は〕読み終えてしまわれなさった。
昔を思わせて大学の栄える頃なので、上中下の人が、我も我もと、この道〔学問〕を志して集まるので、いよいよ、世の中に、才能があって頼もしい人が多くあったのである。文人擬生などという者どもから始めて、すらすらと〔試験を〕終えなさるので、ひたすら感心して、師も弟子も、いよいよ励み合われなさる。
殿〔六条院〕でも、文作りが頻繁で、博士や才人たちは活躍の場を得た。すべて何事につけても、それぞれの道の人の才能のほどが現れる世であったのである。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第21冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。