第25帖 蛍 / 第7場面
紫の上の物語談義
あらすじ・人物・読み方
紫の上も物語を捨てがたく思い、『くまのの物語』の絵を見て昔を思い出す。源氏は玉鬘の前で世馴れた物語を読ませるなと言い、紫の上は『宇津保』の藤原君の女を引き合いに物語の人物像を論じる。
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現代語で読む
紫の上も、姫君のお世話にかこつけて、物語は捨てがたくお思いであった。『くまのの物語』の絵であるのを、「たいそうよく描いた絵だなあ」と言ってご覧になる。小さな女君が、何心もなく昼寝していらっしゃるところを、昔のありさまを思い出して、女君〔紫の上〕はご覧になる。
「このような子供たちでさえ、どう育てられたことか。私こそ、やはり例にすべきで、心ののどかさは人に似ていなかったよ」と〔源氏は〕申し出でなさった。本当に、類の多くないことどもは、お好み集めなさっていたのだよ。
「姫君のお前で、この世に馴れた物語などを、読んで聞かせてはなりません。ひそかに心の付いた者の娘などは、をかしいとまではいかなくても、このようなことが世にはあったのだと、見馴れておしまいになるのが、忌々しいのです」とおっしゃるのも、格別なことと、対のお方〔玉鬘〕がお聞きになったら、お心に隔てをお持ちになりそうなものだ。
上〔紫の上〕は、「心浅そうな人真似どもは、見るにもそばで痛々しいほどです。『宇津保』の藤原君の娘こそ、たいそう重々しくしっかりした人で、過ちがなさそうだけれど、まっすぐに言い出したことも仕業も、女らしいところがなさそうなのが、一様なようです」とおっしゃると、
「現実の人も、きっとそうであるのだろう。人らしく立てた趣向が格別で、よいほどに構えていないか。由緒からでない親が、心を留めて育て上げた人の、子らしいのを生きた証として、〔親に〕後れたことが多いのは、何の業をして大切に育てたのかと、親の仕業まで思いやられるのが、気の毒なことだ。
本当に、そう言っても、その人の様子がよいと見えたものは、甲斐があり、面目が立つことだ。言葉の限りにまばゆくほめておいたのに、し出した業や、言い出したことの中に、本当にと思い見え聞こえることのないのは、たいそう見劣りする業だ。すべて、善くない人に、どうして人をほめさせるものか」などと、ただ「この姫君に、点〔非難の印〕が付けられてはならない」と、万事にお思いおっしゃりになる。
継母の腹黒い昔物語も多いのを、このごろ、「心得が見えて心が付かない」とお思いになるので、ひどく選びつつ、書き整えさせ、絵などにも描かせなさった。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第25冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。