第25帖 蛍 / 第6場面
長雨の物語論
あらすじ・人物・読み方
長雨の退屈に、御方々は絵物語で明かし暮らす。西の対で物語に夢中の玉鬘を見た源氏は、女は物語に欺かれるものだと言いながら、物語の真実と仏の方便にまで及ぶ有名な物語論を語り、最後は姫君への思いを歌に託す。
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現代語で読む
長雨が例年よりもひどくて、晴れる方もなく退屈なので、御方々は、絵物語などの慰みで、明かし暮らしなさる。明石のお方は、そのようなことも風情があってお作りになって、姫君〔玉鬘〕のお方へ差し上げなさる。
西の対〔玉鬘のもと〕では、まして珍しくお思いになることの筋合いなので、明け暮れ書き読みに携わっていらっしゃる。付き従うのにふさわしい若人が数多くいる。さまざまに珍しい人の身の上などを、真実か偽りか、言い集めた中にも、「私のありさまのようなのはなかった」とご覧になる。
『住吉』の姫君の、差し当たっただろう折はそれはそれとして、今の世の評判もやはり心が格別であるらしいところに、主計頭が、ほとほと困っただろうなどと、あの監〔大夫監〕の忌々しさをお思い比べてなさる。
殿〔源氏〕も、こちらあちらにこのような物どもが散らばって、お目に離れないので、「ああ、うるさい。女こそ、物をうるさがらず、人に欺かれようと生まれたものなのだ。これらの中に、真実はたいそう少ないだろうに、一方で知りながら、このようなそぞろごとに心を移し、欺かれなさって、暑苦しい五月雨の中、髪の乱れるのも知らないで、お書きになるよ」
と言って、お笑いになるものの、また、「この世の古い物語でなければ、本当に、何で紛らわしようもない退屈を慰められようか。それにしても、この偽りごとどもの中に、本当にそうであろうとしみじみした情を見せ、ふさわしく続けたものは、また、たわいないことと知りながら、むやみに心が動き、かわいらしい姫君が物思いしているのを見るにつけ、片心が惹かれることよ。また、たいそうあってはならないことだなと見るにつけ、仰々しく取りなしたのが目を見張らせて、静かにまた聞くたびに、憎いけれど、ふとをかしい節や、あらわなことなどもあるだろう。
このごろ、幼い人が女房などに時々読ませるのを立ち聞きすると、物をよく言う者が世にあるはずだなあ。虚言をよくし慣れた口つきから言い出すのだろうと思われるけれど、そうでもないだろうよ」
とおっしゃると、「本当に、偽りに馴れた人が、さまざまにそう汲み取るのでございましょう。ただたいそう真実のこととこそ思われてなりません」と言って、硯を押しやりなさると、
「そっけなくも聞き落としていたことだなあ。神代より世にあることを、記し置いたのだそうだ。『日本紀』などは、ただ片側だけだよ。これら〔物語〕にこそ、各道に詳しいことがあるだろう」と言って、お笑いになる。
「その人の身の上といって、ありのままに言い出すことこそないけれど、善きも悪しきも、世を経る人のありさまの、見るにも飽かず、聞くにも余ることを、後の世にも言い伝えさせたい節々を、心に籠めておきがたくて、言い置き始めたのだ。善い様子に言うといっては、善いことの限りを選び出して、人を従わせようといっては、また悪い様子の珍しいことを取り集めたものは、皆それぞれに付けたもので、この世の外のことではないよ。
人の朝廷の才能も、作りようも変わる、同じ大和の国のことなので、昔と今とに変わるはずで、深いこと浅いことの区別こそあるだろう、ひたすら虚言と言い切ってしまうのも、ことの心と違っているのである。
仏が、たいそううるわしい心で説き置きなさった御法も、方便ということがあって、悟りのない者は、あちこち違う疑いを置きそうなものだ。『方等経』の中に多いけれど、言っていけば、一つの旨にあって、菩提と煩悩との隔たりこそ、この、人の善い悪いほどのことは変わっていたのだ。
よく言えば、すべて何事も空しくはなくなるではないか」と、物語をたいそうわざとのことにおっしゃりなした。
「さて、このような古い物語の中に、私のように実直な痴人の物語はあるかね。ひどく気遠いものの姫君も、あなたの心のように冷たく、うわの空でいる者は世にあるまいよ。さあ、類のない物語にして、世に伝えさせよう」と、差し寄って申し上げなさると、〔姫君は〕顔を引き入れて、
「そうでなくても、このように珍しいことは、世の語り草にこそなりそうでございます」とおっしゃると、「珍しくお思いになりますか。本当に、またとない心地がします」と言って、寄り座っていらっしゃる様子は、たいそう洒落ている。
思い余って昔の跡を訪ねても、親に背ける子は類がありません。不孝というものは、仏の道でもひどいことと言われている」とおっしゃるけれど、〔姫君が〕顔もお上げにならないので、お髪をかきやりながら、ひどくお恨みになると、ようやく、
古い跡を訪ねても、本当にありませんでした。この世に、このような親の心は。と申し上げなさるのも、心恥ずかしいので、たいそうひどくもお乱れにならない。
こうして、どのようなご様子になるのだろうか。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第25冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。