第26帖 常夏 / 第10場面
近江の君の人となり
あらすじ・人物・読み方
大臣を見送る座で、近江の君は立派な父を自慢し、五節の君と言い合う。その鄙びた物言い、本末の合わない歌など、人となりが語られ、近江の君は女御殿へ参る話を持ち出す。
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現代語で読む
立派な四位五位の人々がお仕え申し上げ、少しお動きになるのにも、たいそう厳めしい御威勢であるのを見送り申し上げて、「まあ、立派な私の親だこと。あのような血筋でありながら、つまらない小さな家に生まれ出てしまったことよ」
とおっしゃる。五節の君が、「あまり大げさで、恥ずかしそうでいらっしゃいます。立派な親が大切に育てようというのなら、尋ね出されなさったでしょうに」と言うのも、もっともである。
「例によって、あなたは人の言うことを遮って、目ざわりです。もう、同じ口で言葉を交わさないでください。それ相応の由緒のある身の上なのでしょうから」と、腹を立てていらっしゃる顔つきは、気安く、愛嬌があって、少し濡れたようになっているのは、その方面では趣があって罪が許されている。
ただ、たいそう田舎びて、つまらない下人の中でお生まれ育ちになったので、物の言い方も御存じない。格別な理由のない言葉でも、声をのどやかに押し静めて言い出したのは、聞くとはっと耳に新しく聞こえ、面白くない歌語りをするのも、声の使い方がそれぞれ相応しく、余韻を思わせ、もったいぶった様子でお誦じになるのは、深い筋を思い得ないほどの聞き方では、面白いだろうと、耳もとどまるのである。
たいそう心深く風流なことを言っていても、よい心地がするだろうとは聞こえそうもなく、軽はずみな声の様子でおっしゃり出る言葉は堅苦しく、言葉が訛って、わがままに誇ることに慣れた乳母の懐に慣れた様子で、もてなしぶりがたいそうみっともないのに、窶れるのであった。
まったく言い甲斐がないわけではなく、三十文字あまりの、本末の合わない歌を、口早くうち続けたりなさる。
「さて、女御殿に参れとおっしゃったのを、渋々という様子ならば、面白くもお思いでしょう。今夜参りましょう。大臣の君が天下に思っていらしても、この御方々が冷たくあしらうようなことになれば、殿の中には立っていられましょうよ」とおっしゃる。御寵愛のほどは、たいそう軽いものであるよ。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第26冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。