第29帖 行幸 / 第7場面
三条の宮での対話
あらすじ・人物・読み方
三条の宮では、藤壺が脇息にもたれて起きており、その衰えぬ美しさに源氏は見入る。大宮は年の積もりの病を語り、夕霧の心のこもった世話に引き留められて長らえていると泣く。源氏は、内大臣との対面の機会があれば嬉しいとほのめかす。藤壺は夕霧と雲居雁のことへの恨み言に触れ、意地を張る大宮の性分を嘆く。
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現代語で読む
今はなおさら、人目を忍んでひっそりと暮らしておられるけれど、行幸にも劣らず立派で、ますます光を添えなさるご容貌などが、この世のものとも見えない心地がして、珍しく拝見なさるにつけ、ますますご気分の悩ましさも取り捨てられる心地がして、〔藤壺は〕起きてお座りになっていた。脇息にもたれて、弱々しいけれど、物事などたいそうよくお話しになる。
「悪くおなりではなかったのに、何某の朝臣が心を惑わせて、大げさに嘆き申し上げるようなので、どのようにしておられるのかと、心配申し上げておりました。内裏などにも、特別な機会のない限りは参らず、朝廷に仕える者でもなく籠もっておりますので、万事不慣れで、世間並みになってしまいました。年齢など、私より上の人で、腰が持たないほど屈んで歩く例は、昔も今もあるようですが、不思議と愚かな生まれつきに、その物憂さが加わっているのでしょう」
などと申し上げなさる。
「年の積もりの病と思い続けて、何か月にもなりましたが、今年となっては、望みも薄いように思われますので、今一度、このように拝見し申し上げることもなく終わるのかと、心細く思っておりましたのに、今日こそ、また少し寿命が延びた心地がいたします。今はもう惜しんで留めるほどの身でもございません。そうあるべき人々にも遅れをとり、世の末に残り留まった類いの者を、人の身の上にあって、たいそう好ましくなく見ておりましたので、出発(死出)の用意ばかりが思い催されておりましたが、この中将(夕霧)が、たいそう心を込めて不思議なほど世話をし、心を騒がせなさるのを見るにつけ、あれこれと引き留められて、今まで長引いております」
と、ただ泣きに泣いて、お声の震えようも大げさながら、そのようなことどもなので、たいそう哀れである。
お話の数々、昔今のことを取り交ぜて申し上げなさるついでに、
「内大臣は、日を置かず参られることも多いでしょうに、こうしたついでに面会があれば、どんなに嬉しいでしょう。ぜひ申し上げて知らせたいことがございますのに、ふさわしい機会がなくては面会も難しいので、はっきりしないままで」
と申し上げなさる。
「公務が忙しいためか、私どもの志が深くないためか、それほどご訪問もいたしません。おっしゃろうとなさるのは、どのようなことでしょう。中将が恨めしそうに思われていることもございますのを、『初めのことは知らないが、今となっては聞き苦しくもてなすにつけ、一度立ち始めた評判は取り返せるものではなく、大げさなように、かえって世間の人も言い漏らすというのに』などと申しておりますので、意地を張るところが、昔からたいそう解けにくいあの人(大宮)の生まれつきで、分からずに見ております」
と、この中将(夕霧)のことと思っておっしゃると、〔藤壺は〕微笑みなさって、
「言っても甲斐がないのに、お許し捨てなさることもあるかと聞いておりまして、ここ(私)にまで、かすめて申すようなことがありましたが、たいそう厳しく諌めなさるご様子を見ました後では、どうしてあそこまで言葉を交わしたのだろうと、体裁悪く後悔なさっておいでです。
万事につけて、清めということがございますので、どうして、そう取り返してお清めなさらないことがあろうかとは思いながらも、こう残念な濁りの末に、待ち取って深く住むべき清水などは、出で来にくい世の中です。何ごとにつけても、末になれば、落ちてゆく区別こそつきやすいようです。気の毒にお聞きなのです」
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第29冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。