第34帖 若菜上 / 第19場面
若宮の誕生と明石入道の文
あらすじ・人物・読み方
春宮の女御である明石の姫君が男宮を無事に出産し、六条院は喜びに包まれる。祖母の尼君は若宮を世話し、紫の上も慈しむ。明石の入道は孫の誕生を聞いて長年の夢と願いが叶ったと喜び、深山に籠もる決意を文に書き、願文を収めた文箱とともに明石の君へ送る。
下の同じ枠で原文・発音の読み・現代語を一節ずつ確認できます。どの読み方から始めても読了を記録できます。
表示と音声の設定
現代語で読む
三月の十日過ぎに、無事にお生まれになった。前もっては大そうご心配でお騒ぎだったが、ひどくお苦しみになることもなく、男のお子でさえあられたので、この上なくご満足のご様子で、大殿もお心が落ち着かれた。
こちらは人目を避けた方で、ただ親しい者だけがいる程度であるのに、立派な御産養などがひっきりなしに行われ、騒がしく華やかな様子は、なるほど「甲斐ある浦」と、尼君のためには見えたけれど、正式な儀式というのではないので、(源氏が)お越しになるようである。
対の上(紫の上)もお越しになった。白いお召し物をお召しになって、母親らしい様子で、若宮をしっかり抱いていらっしゃる姿は、とても趣がある。ご自分はこうしたことをご存じなく、他人のこととしても見慣れていらっしゃらないので、とても珍しく可愛らしいとお思い申し上げになる。(若宮が)ぐずる様子のときも、絶えず抱き取っていらっしゃるので、本当の祖母君(明石の君)は、ただお任せ申し上げて、お湯殿のお世話などをなさる。
春宮の宣旨を受けた典侍がお世話を申し上げる。お迎え湯に、自らお立ちになるのもとても痛ましく、内々の事情もほのかに知っているので、
「少しでも欠けたところがあれば、お気の毒だったでしょうに、驚くほど気高く、本当に、このような宿縁が格別であられる方なのだなあ」
と見申し上げる。この頃の儀式なども、真似て申し上げるには、まったく言うまでもないことである。
六日目という日に、いつもの御殿にお移りになった。七日の夜、内裏からも御産養の祝いがあった。
朱雀院が、このように世を捨てていらっしゃる代わりなのか、蔵人所から頭弁が、宣旨を承って、珍しいほどの様子でお仕えした。禄の衣なども、また中宮のお方からも、公の行事以上に立派に、厳かになさる。次々の親王たち、大臣の家々は、その頃の習わしで、我も我もと、美しさを尽くしてお仕えになる。
大殿の君も、この頃のことは、いつものようにも手を抜かせなさらず、世に例なく騒がれるほどで、内々の優美で細やかな風雅の、真似て伝えたい節々は、目も留まらないほどであった。大殿の君も、若宮をほどなく抱き申し上げなさって、
「大将(夕霧)の子をたくさん授かったというのに、今まで見せないのが恨めしいところに、このように可愛い人を授かり申し上げた」
と、可愛がり申し上げなさるのは、もっともなことであるよ。
日ごとに、物を引き伸ばすようにご成長になる。御乳母なども、心の分からない者は急にはお召しにならず、お仕えする者の中で、品格も心も優れた者ばかりを選んで、お仕えさせになる。
御方(明石の君)のお心がけが、しっかりとして気高く、おっとりしているものの、しかるべき相手には謙虚で、憎らしいほど取り澄ますこともないことなどを、褒めない人はいない。
対の上は、正式ではないけれど、顔を合わせていらして、あれほど許しなくお思いだったが、今は、宮(女御)のお人徳によって、とても睦まじく、大切にお思いになるようになった。稚児を可愛がりなさるお心で、天児(人形)などを、ご自身で作ったり繕ったりなさるのも、とても若々しい。明け暮れこのお世話でお過ごしになる。
あの古代風の尼君(明石の君の母)は、若宮を心ゆくまで拝見できないのが、飽き足りなく思われた。かえって拝見し始めて、お慕い申し上げるので、命も持ちこたえられそうにないほどである。
あの明石にも、このようなおめでたいことを伝え聞いて、あのような聖のような心地でも、とても嬉しく思われたので、
「今こそ、この世の境を心安く行き離れることができる」
と弟子たちに言って、この家を寺にし、近くの田などのようなものは、皆その寺のものとしておき、この国の奥の郡に、人の通うことも難しい深い山があるのを、年来占めておきながら、あそこに籠もった後は、また人に見知られるはずもないと思って、ただ少し気がかりなことが残っていたので、今まで長らえてきたが、今はそうもいくまいと、仏や神を頼み申し上げて移られたのである。
この近年になっては、京に特別なことがない限り、人が通って来ることもなかった。こちらから下る人にだけ託して、一行だけでも、尼君へしかるべき折節のことが通っていた。思い離れる世の最後に、文を書いて、御方(明石の君)へ差し上げなさった。
「この年頃は、同じ世の中に巡り合っておりましたが、どうしてか、こうしながら身を変えたように思いなさりつつ、格別なことがない限りは、お便りもいたしませんでした。
仮名文をご覧になるのは、目の暇が要って、念仏も怠るようで、益がないので、お便りも差し上げなかったのですが、人づてに承れば、若君は春宮にお入りになって、男宮がお生まれになったとのことで、深く喜び申しております。
その訳は、私のような拙い山伏の身で、今さらこの世の栄えを思うこともございません。過ぎ去った年頃、心汚く、六時の勤めにも、ただ御ことだけを心にかけて、蓮の上の露の願いは差し置いて、お祈り申し上げてきました。
わが姫君がお生まれになろうとした、その年の二月のその夜の夢に見た様子は、
『私が須弥の山を、右の手に捧げていた。山の左右から、月と太陽の光が明るく差し出て世を照らす。私は山の下の蔭に隠れて、その光に当たらない。山を広い海に浮かべておいて、小さな舟に乗って、西の方を目指して漕いでゆく』
と見たのでございます。
夢が覚めて、朝から取るに足らない身に頼むところができながら、『何につけて、あのような立派なことを待ち受けるのだろう』と、心のうちに思っておりましたが、その頃からお宿りになった後、世俗の方の書物を見た際にも、また仏教の教えを尋ねる中にも、夢を信ずべきことが多くございましたので、いやしき懐のうちにも、畏れ多く思い大切にし申し上げてきましたが、力の及ばない身に思いかねて、このような道に赴いたのでございます。
また、この国のことに沈んでおり、老いの波に二度と立ち返るまいと思い収めて、この浦に年頃いた間も、わが君を頼みに思い申し上げてきましたので、心一つに多くの願いを立てました。その甲斐あって、無事に思いのとおりの時に恵まれていらっしゃいます。
若君が、国の母となられて、願いが満ちる世に、住吉の御社をはじめとして、(願いを)果たし申し上げてください。さらに何を疑いましょうか。
この一つの思いが、近い世に叶いましたので、遥か西の方、十万億の国を隔てた、九品の上の望みも疑いなくなりましたので、今はただ迎える蓮を待つ間、その夕べまで、水草の清い山の奥で勤めようとして、入山いたしました。
光が現れる暁が近くなった。今こそ、かつて見た世の夢を語るのだ。
と(歌を書き)、月日を書いてある。
「命が終わる月日も、決してお知りになりませぬよう。昔から人が染めておいた藤衣にも、どうしてやつれなさりましょう。ただ私の身は変化の者と思いなさって、老法師のためには功徳をお作りください。この世の楽しみに添えても、後の世をお忘れなさいますな。
願い暮らす所にさえ至りましたなら、必ずまた対面はございましょう。娑婆の彼岸に至って、早く会おうと思いなさい」
さて、あの社に立て集めた願文どもを、大きな沈の文箱に、封じ込めて差し上げなさった。
尼君には、詳しくは書かず、ただ、
「この月の十四日に、草の庵を離れて、深い山に入りました。甲斐ない身は、熊や狼にも施しましょう。そちらでは、なお思いのような御世を待ち受けなさってください。明らかな所で、また対面はありましょう」
とだけある。
尼君が、この文を見て、その使いの大徳に尋ねると、
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第34冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。