第34帖 若菜上 / 第3場面
乳母と弁の奔走
あらすじ・人物・読み方
朱雀院が女三の宮の後見を源氏に託そうとする御意向を、宮の乳母が兄の左中弁に語り、源氏への打診を頼む。弁は源氏の御人柄を語って見通しを述べ、乳母も内々に働きかけてきた経緯を明かす。一方、院御自身も兵部卿宮をはじめ候補者たちを思い比べては決めかね、宮の将来を案じて煩悶なさる。
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現代語で読む
この宮の御後見を望む人々の中に、重々しい御乳母の兄で左中弁という、六条の院(源氏)の親しい人として長年お仕えしている者がいた。この宮にも格別に心を寄せてお仕えしているので、参上したところに出会い、物語をするついでに、(乳母が)
「主上(朱雀院)が、しかじかと御意向をお漏らしになりましたのを、あの院(源氏)に、機会があればお伝えください。皇女たちが独り身でおられるのは例のことではありますが、さまざまに心を寄せ申し上げ、何事につけても後見をしてくださる人がいるのは頼もしいことです。
主上をおいて、ほかに真心からお慕い申し上げるべき人もいないのですから、私どもは、お仕えするといっても、どれほどの宮仕えができるでしょうか。自分ひとりの心だけではどうにもならず、思いがけないこともおありでしょうし、軽々しい噂が立つような時には、どんなにか煩わしいことでしょう。主上が御覧になっていらっしゃる間に、ともかくもこの御事が決まれば、お仕えする甲斐もあるというものでしょう。
尊い筋の方と申しますが、女はまことに宿世の定めがたいお身の上ですから、何事も嘆かわしく、このように大勢の皇女方の中で、とりわけ目をかけていただくにつけても、人の妬みがあるに違いないのを、どうして少しでも(悪い噂を)立て申すことがありましょうか」
と(乳母が)語るので、弁は、
「どういうことになる御話でしょうか。院(源氏)は、不思議なほど御心が長く、かりそめにも目をお留めになった人は、心が惹かれた人も、さほど深くなかった人も、それぞれに尋ね取って、大勢お集めになりましたが、格別に重んじておられる方には限りがあって、偏った有様ですので、それゆえに、甲斐のなさそうな暮らしをなさっている方々が多いようなのですが、御宿世があって、もしそのようなお身の上になることもあれば、どんなに素晴らしい方と世に聞こえる方でも、並び立って張り合いなさることはできまいと推し量られますが、それでも、どうだろうかと憚られることがあって思い悩まれます。
それというのも、『この世の栄えは末の世に勝り、身に不安なことはないのに、女の筋のことで、人の非難を受け、自分の心にも満ち足りないことがある』と、いつも内々の戯れ言にもお思いになりおっしゃっているそうです。
確かに、私どもが拝見しても、そのとおりでいらっしゃいます。さまざまに、御蔭に隠れていらっしゃる人々は、皆その人に劣って低い身分でおられるわけではありませんが、限りあるただ人たちの中で、院の御様子に並ぶほどの評判を備えた方がいらっしゃるでしょうか。
それに、どうせなら、ほんとうにそのようでいらっしゃれば、どれほど釣り合った御間柄でしょう」
と(弁が)語るのを聞いて、
乳母は、また話のついでに、
「しかじかと、某の朝臣にほのめかしましたところ、『あの院には、必ずお引き受け申し上げなさるでしょう。長年の御本意が叶ってお思いになるだろうことですから、こちらの御承諾が本当にあるのなら、お伝え申し上げましょう』と申しておりましたが、どういうことになるのでしょうか。
身分身分に応じて、人の身分の上下をお見分けになりながら、ありがたい御心構えでいらっしゃいますが、ただ人でさえ、また、関わり合って思い合う人が並び立つことは、人の満ち足りない思いをすることですのに、目覚ましい不快なことがありましょうか。御後見を望みなさる人々は、大勢いらっしゃるようです。
よくお考えになってお決めになればこそ、よろしいのでしょう。限りなく尊い方と申しますが、今の世の様子からいえば、皆朗らかに、しかるべく世の中を御心のままにお過ごしになるはずの方もいらっしゃるでしょうに、姫宮は、あきれるほど頼りなく、心もとなくばかりお見えになるので、お仕えする人々は、お仕えするだけのことしかできませんでしょう。
大方の御心構えに従い申し上げて、賢い下人もなびいてお仕えすることこそ、頼りになることでしょう。取り立てた御後見がいらっしゃらないのは、やはり心細いことでしょう」
と(乳母は)申し上げる。
「そのように思い迷うからなのだ。皇女たちの世間並みの有様は、嘆かわしく軽々しいようにもあり、また高い身分とはいえ、女は男に知られるにつけてこそ、悔しいことも、不快な思いも、自然と交じるものらしいと、一方では心苦しく思い乱れるのだが、また、頼るべき人に先立たれ、頼みの蔭に別れた後、心を立てて世の中に過ごそうとしても、昔は人の心が穏やかで、世に許されないほどのことは思いも及ばないものと慣わしであったろうが、今の世では、好色じみて乱れたことも、その類いに触れて聞こえてくるようだ。
昨日まで高い親の家で大切に育てられた人の娘が、今日は卑しい身分の好色者どもに名を立てられて欺かれ、亡き親の顔を伏せさせ、面影を恥じさせる類いが多く聞こえる。言っていけば皆同じことだ。
身分身分につけて、宿世などということは、知りがたいことなので、何事も気がかりだ。すべて、悪くも善くも、しかるべき人の心に許し置かれたままで世の中を過ごすのは、それぞれの宿世というもので、後の世に衰えがある時も、自分自身の過ちにはならない。
時が経って、この上ない幸いがあり、無難なことになる折には、こうでも悪くなかったと見えるけれど、それでも、たちまちふと聞きつけた時は、親に知られず、しかるべき人も許さないのに、自分から忍び事をし出してしまったのは、女の身にはこの上ない疵と思われることだ。
卑しいただ人の仲でさえ、軽々しく好ましくないことだ。自分自身の心から離れてあるべきでもないのに、思う心のほかに人にも見えず、宿世のほどが定められるのは、まことに軽々しく、身の持ち方や有様が推し量られることなのだ。
不思議と物儚い心構えかと見える御様子なのを、あれこれの人の心に任せて、お世話申し上げるな、そのようなことが世に漏れ出ることは、まことに辛いことだ」
などと、(朱雀院が)お見捨て申し上げる後の世を、気がかりそうにお思い申し上げなさるので、(人々は)いよいよ煩わしく思い合っていた。
「今もう少し物事をお分かりになるほどまで見過ごそうと、長年念じてきたのに、深い本意も遂げずに終わってしまいそうな心地がして、思いを催されているのだ。
あの六条の大殿(源氏)は、確かに、それでも物事を心得て、安心できる点ではこの上ないだろうが、方々に大勢いらっしゃるはずの人々を知るはずもないのだ。どうであれこうであれ、人の心から出ることだ。のどかに落ち着いて、大方の世の手本とも、安心できる点では並ぶ者なくいらっしゃる方だ。そうでなくて良いはずの人が、誰ほどいるだろうか。
兵部卿宮は、人柄は無難だ。同じ筋の方で、他人と区別して貶めるべきではないけれど、あまりにひどく優美に装うほどに、重々しい点が劣って、少し軽々しい評判が立ってしまうかもしれない。やはり、そのような人はまことに頼りなさそうである。
また、大納言の朝臣の家司が望んでいるというのは、その方面では、まめやかであるべきことではあるけれど、さすがにどうだろうか。そのように並の身分では、やはり目覚ましく不釣り合いなことだろう。
昔も、このような選びでは、何事も人に異なる評判があることに、頼ってこそあったのだ。ただひたすらに、またとなく重んじる方ばかりを、賢いことと思い定めるのは、まことに物足りず残念なことだろう。
右衛門督が(尚侍の)下で嘆いているという旨を、尚侍がおっしゃった、その人ばかりが、位などが今もう少し立派なほどになれば、どうして(悪かろうか)、とも思い寄れるのだが、まだ年がまことに若くて、まったく軽々しいほどだ。
高い志が深くて、独身で過ごしながら、ひどく沈み思い上がった様子は、人に抜きんでて、才能なども申し分なく、ついには世の柱となるべき人なので、将来も頼もしいけれど、やはりまたこの宮のためにと思い果たすには、限りがあるのではないか」
と、(朱雀院は)万事に思い煩っていらっしゃった。
このようにもお思い寄りにならない姉宮たちについては、少しも申し上げて煩わせなさる人もいない。不思議と、内々におっしゃる御ささやき言が、自然と広がって、心を尽くす人々が多かった。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第34冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。