第34帖 若菜上 / 第4場面
候補者たちの思惑
あらすじ・人物・読み方
女三の宮の婿にと太政大臣は衛門督を推して尚侍に働きかけ、兵部卿宮や藤大納言、権中納言もそれぞれに思いをめぐらす。春宮のお言葉もあって朱雀院の御決意は固まり、弁を通じて源氏に御意向が伝えられる。源氏は重荷に戸惑いながらも、宮への御同情を深めてゆく。
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現代語で読む
太政大臣も、
「この衛門督は、今まで独り身でいて、皇女方でなければ妻に得まいと思っているのを、このような御沙汰が出てきたという折に、そのように(宮に)お向け申し上げて、お召し寄せになった時、どれほど私のためにも面目があって嬉しいことだろう」
と、お思いになりおっしゃって、尚侍の君には、あの姉の北の方を通じて、お伝え申し上げなさるのであった。万事限りない言葉を尽くして(朱雀院に)奏上させ、御意向を賜ろうとなさる。
兵部卿宮は、左大将の北の方を申し上げて外されなさり、お聞きになるだろう所もあり、不完全なことになってはと、選び過ぎなさるにつけ、どうして御心が動かないことがあろうか。限りなく思い焦がれていらっしゃった。
藤大納言は、長年院(朱雀院)の別当として、親しくお仕えして居慣れているのを、(院が)御山籠もりをなさった後、寄る辺なく心細いはずであるのに、この宮の御後見にかこつけて、お顧みいただけるよう、御意向を切に賜っているのであろう。
権中納言(紅梅)も、このようなことどもをお聞きになると、
「人伝てでもなく、あれほど(院が)お向けになっていた御様子を拝見したのだから、自然と機会に付けて、漏らし、お聞きになることもあれば、まさかよそ事ではあるまい」
と、心がときめきもしたけれど、
「女君(雲居雁)が今はすっかり打ち解けてお頼みになっているのに、長年、辛い思いに託けられそうな時でさえ、他への心もなく過ごしてきたのに、あいにく、今さら翻って、急に物思いをさせ申し上げようか。並々でなく尊い方に関わり合えば、何事も思うままにならず、左右に安らかでなければ、我が身も苦しいことだろう」
などと、もともと好色じみていない心なので、思いを鎮めながら表に出さないけれど、さすがに他の方に決まってしまわれるのも、どうだろうと思われて、耳は留まっていた。
春宮(東宮)も、このようなことどもをお聞きになって、
「差し当たった目先のことよりも、後の世の先例ともなるべきことなのだから、よくお考えを巡らすべきことです。人柄が良いといっても、ただ人は限りがあるのですから、やはり、そのようにお思い立つことなら、あの六条院(源氏)にこそ、親のようにお譲り申し上げなさるべきでしょう」
と、正式の御消息ではないけれど、御意向があったのを、(朱雀院は)待ち聞かせなさっても、
「確かに、そのとおりだ。まことによくお思いになりおっしゃってくれた」
と、いよいよ御決心を固めなさって、まず、あの弁を通じて、どうにか案内をお伝え申し上げさせなさった。
この宮の御事を、このように思い煩っていらっしゃる様子は、前々から皆お聞き置きになっていたので、
「心苦しいことでもあるなあ。そうではあっても、院の御代に残りが少ないからといって、こちらもまた、どれほどお先立たずに申し上げられるというのか、その御後見の事を引き受け申し上げよう。確かに、順序を誤らないようにして、今しばらくの間も残り留まる限りはあるならば、大方については、どの皇女方をも、よそに聞き放ち申し上げるべきでもないけれど、またこのように取り分けて聞き置き申し上げてしまう方を、特別に後見申し上げようと思うのに、それでさえまことに不確かな世の定めなさであるよ」
とおっしゃって、
「まして、ひとつにお頼まれ申し上げるべき筋で、睦まじく馴れ親しみ申し上げることは、まことにかえって、続いて世を去ろうとする際にも心苦しく、自分自身のためにも浅からぬ絆になるはずだ。
中納言(紅梅)などは、年若く軽々しいようだけれど、将来が遠く、人柄も、ついには朝廷の御後見ともなるはずの将来性があるようなので、そのようにお思い寄りになるのに、どうしてこの上ないことがあろうか。
けれども、まことにひどく真面目ぶって、思う人が決まっているようなので、それに憚らせなさるのだろうか」
などとおっしゃって、御自身は(この話から)離れようとなさる様子なのを、弁は、並々でない御決意でもないのに、このようにおっしゃるので、気の毒に、残念にも思って、内々に(院が)お決めになった様子などを、詳しく申し上げると、(源氏は)さすがに、微笑みながら、
「まことに愛しくお育て申し上げなさった皇女のようだから、無理にもこのように来し方行く末の思案も深いのであろうな。ただ、内裏(今上)にこそ差し上げなさるべきだろう。尊い第一の人々がいらっしゃるということは、無用なことだ。それに障るべきことでもない。必ずしもそうだからといって、末の人が疎かにされる様子もない。
故院(桐壺帝)の御時に、大后(弘徽殿大后)が、東宮の初めての女御として、威勢を振るっていらっしゃったけれど、まったくの末に参上なさった入道の宮(藤壺)に、しばらくは圧倒されておしまいになったのだ。
この皇女の御母女御こそは、あの宮の御姉妹でいらっしゃったのだろう。お姿も、次には、まことに良いと言われなさった方であったから、どちらにつけても、この姫宮が並々の身分でいらっしゃるはずはあるまいものを」
などと、(源氏は)不審にはお思い申し上げなさるに違いない。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第34冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。