ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第35帖 若菜下 / 第15場面

誤報と受戒

あらすじ・人物・読み方

紫の上死去の誤報が世に広まり、柏木や式部卿宮らが見舞いに参る。源氏は紫の上に五戒を受けさせ、法華経の供養を重ね、六月になってようやく回復の兆しが見える。

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現代語で読む

このように〔紫の上が〕お亡くなりになったということが、世の中に満ちて、お弔いに申し上げなさる人々があるのを、とても不吉にお思いになる。今日の帰朝見に出ていらした上達部などが、お帰りになる道で、このように人が申すので、

「とてもひどいことでもあるなあ。生きがいがあった幸せな人の、光が失われる日で、雨はしとどに降るのだった」

と、ぶしつけなことをおっしゃる人もいる。また、

「このように十分な人は、必ず長生きできないものだ。『何を桜に』という古言もあるではないか。このような人が、ますます世に長らえて、世の楽しみを尽くせば、傍らの人は苦しいだろう。今こそ、二品の宮は、もとのご寵愛が現れなさるだろう。気の毒に圧されていたご寵愛を」

などと、囁き合っていた。

衛門督〔柏木〕は、昨日日を暮らしがたかったことを思って、今日は、御弟たち、左大弁、藤宰相などを、奥の方に乗せてご覧になっていた。このように言い合っているのを聞くにも、胸が潰れて、

「どうしてつらい世に長く生きられようか」

と、口ずさんで独り言を言って、あの院へ皆参りなさる。確かでないことなので不吉だろうかと言って、ただ大方のご訪問に参っていらしたのに、このように人が泣き騒ぐので、本当だったのだと、立ち騒ぎなさった。

式部卿宮もお渡りになって、とてもひどく思い萎れた様子でお入りになる。人のご消息も、申し伝えることがおできにならない。大将の君〔夕霧〕が、涙を拭って立ち出ていらっしゃるのに、

「どうですか、どうですか。不吉な様子に人が申したので、信じがたいことですが。ただ長くご病気だと承って嘆いて参りました」

などとおっしゃる。

「とても重くなって、月日が経っていらしたのを、今朝から息絶えていらしたのは、物の怪の仕業であった。ようやく生き返りなさるように聞きなしておりますが、今は皆人の心も静まるようだけれど、まだとても頼りない様子ですよ。心苦しいことです」

と言って、本当にひどくお泣きになる様子である。目も少し腫れている。衛門督は、自分の怪しい心の慣れだろうか、『この君〔夕霧〕が、それほど親しくもない継母のご事を、ひどく心に染めておいでだなあ』と、目を留める。

このように、あれこれの人々が参っていらっしゃる旨をお聞きになって、

「重い病人が、急に最期のような様子だったのを、女房などは、心も収めることができず、乱れ騒いでおりましたが、自分も落ち着けることができず、心慌ただしい時でした。特に、このようにおいでになった喜びは申し上げるべきです」

とおっしゃった。督の君は胸が潰れて、このような折に軽々しくなければ参ることもできず、様子が恥ずかしく思うのも、心の内は腹黒かった。

このように生き返りなさった後も、恐ろしくお思いになって、またまた、たいそうな法を尽くして加えて行わせなさる。

生身の人でさえ、恐ろしかった人のご気配が、まして世が変わり、怪しい物の様子におなりだろうと思いやると、とても心憂いので、中宮をお世話申し上げることさえ、この折は億劫で、言い続けていくと、女の身は、皆同じ罪深いもとであることよと、すべての世の中が嫌らしく、例の、また人も聞かなかった御仲の睦み物語に、少し語り出しなさっていたことを言い出していたのを、本当だと思い出すにつけ、とても煩わしくお思いになる。

〔紫の上の〕御髪を下ろそうと切にお思いになったので、忌むことの力もあろうかと、お頂に印だけ挟んで、五戒だけを受けさせ申し上げなさる。御戒の師が、忌むことの優れた旨を、仏に申すのにも、しみじみと尊いことが混じって、人目悪くお側に添い座って、涙を押し拭いなさりながら、仏を諸々の心に念じ申し上げなさる様子は、世に賢くいらっしゃる人も、とてもこのようにお心が惑うことに当たっては、静めることがおできにならないことだった。

どのような行いをして、これを救いかけて留め申し上げようかとばかり、夜も昼も思い嘆くうちに、ぼんやりするまで、御顔も少し面痩せなさってしまった。

五月などは、まして、晴れ晴れしない空の様子に、さわやかにおなりにはならないが、以前よりは少し良い様子である。けれども、やはり絶えず悩み続けていらっしゃる。

物の怪の罪を救うべき行いとして、日ごとに法華経一部ずつ供養させなさる。日ごとに何かと尊い行いをさせなさる。御枕元近くでも、不断のお読経を、声の尊い限りの者たちに読ませなさる。現れ始めては、折々悲しげなことどもを言うけれど、まったくこの物の怪は去り果たさない。

ますます暑い頃は、息も絶えながら、ますます弱っていらっしゃるので、言いようもなく思い嘆いていらっしゃる。亡くなったようなご気分でも、このようなご様子を心苦しく見申し上げていらして、

「世の中から亡くなってしまうのも、自分の身にはまったく残念なことが残るはずはないけれど、このように思い惑っていらっしゃるのに、空しく見なされ申し上げるのが、とても思い隈がないだろうから」、思い起こして、御湯など少し召し上がるのだろうか、六月になって、時々お頭を持ち上げなさるようになった。珍しく見申し上げなさるのにも、やはり、とても不吉で、六条の院にはかりそめにもお渡りになれない。

底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第35冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。