ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第35帖 若菜下 / 第22場面

試楽と柏木の重病

あらすじ・人物・読み方

十二月、朱雀院の御賀の試楽が六条院で催され、病を押して参じた柏木は源氏に引き留められて盃を強要され、退出後に重病に陥る。内大臣邸に移された柏木は、妻の女二の宮や母北の方と泣く泣く別れを惜しみ、世の人々もその病を惜しむ。

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現代語で読む

十二月になった。十余日と定めて、舞などを習わせ、邸の内が揺れるほど騒ぐ。二条院の上〔紫の上〕は、まだお渡りになっていなかったのを、この試楽によって、鎮め果てずにお渡りになった。女御の君も里にいらっしゃる。このたびの御子は、また男でいらっしゃった。次々とたいそう可愛らしくいらっしゃるのを、明け暮れお相手して遊び申し上げなさるにつけて、過ぎる年齢の証が、うれしく思われた。試楽に、右大臣殿の北の方もお渡りになった。

大将の君〔夕霧〕が、丑寅の町で、まず内々に調楽のように、明け暮れ遊び習わせなさったので、あの御方〔雲居雁〕は、御前の物をご覧にならない。

衛門督〔柏木〕を、このようなことの折にも交わらせないのは、たいそう見栄えがなく、物足りなく思われるうちに、人が不審だと傾くべきことなので、参上なさるべき旨があったのを、重く患う旨を申して参上しない。

実際は、それほど苦しそうな病でもないのを、思う心があるのだろうかと、心苦しくお思いになって、特にご消息を遣わす。父大臣も、

「どうしてご返事を申し上げなさったのか。ひねくれたように、院にもお聞きになるだろうに、大げさな病でもないのだから、無理をして参上なさい」

と勧めなさるのに、このように重ねておっしゃるので、苦しいと思いながら参上した。

まだ上達部などもお集まりになっていない頃だった。例の親しい御簾の内にお入れになって、母屋の御簾を下ろしていらっしゃる。なるほど、たいそうひどく痩せに痩せて青ざめて、例にも誇らしく華やいだ方は、弟の君たちに消されてしまって、たいそう用意ありげな顔に鎮めた様子こそ格別なのを、ますます鎮めてお仕えなさる様子に、「どうして皇女たちのお側に差し並べたなら、さらに咎があるはずもないのに、ただ事の様子が、誰も彼もたいそう思いやりがないことこそ、たいそう罪許し難い」などと、御目が留まるけれど、さりげなく、たいそう親しく、

「これといったこともなくて、対面もたいそう久しくなってしまった。月頃は、いろいろの病者を見て扱い、心の暇のないほどに、院の御賀のため、ここにいらっしゃる皇女が、法事をお仕え申し上げるべきであったのを、次々と滞ることが頻繁で、このように年も迫ったので、思いのようにし合えず、型の通り、斎の御鉢が参るべきのを、御賀などと言えば、大げさなようだが、家に生まれ出る子供の数が多くなったのをご覧に入れようとして、舞などを習わせ始めた、そのことだけでも果たそうとして。拍子を調えること、また誰にだろうと思い巡らしかねて、月頃お訪ねにならない恨みも捨ててしまった」

とおっしゃるご様子が、裏のないようであるものから、たいそう恥ずかしくて、顔の色が変わるだろうと思われて、お返事もすぐには申し上げられない。

「月頃、あれこれお悩みになるごことを、承って嘆いておりながら、春の頃から、例にも患っております乱れ脚の病というものが、所狭く起こり患っておりまして、しっかり踏み立つこともございません、月頃に加えて沈んでおりまして、内裏などにも参らず、世の中と跡絶えたように籠もっております。

院の御齢が満ちなさる年です、人より確かに数え申し上げお仕えすべき旨を、致仕の大臣が思い及び申されたのを、『冠を掛け、車を惜しまず捨てた身で、進みお仕えするのに、付くところがない。なるほど、下臈であっても、同じように深いところがあるだろう。その心をご覧なさい』と、催し申されることがございましたので、重い病を助け合って、参っております。

今は、ますますたいそう微かな様子に思い澄まして、厳かなお支度をお待ち受け申し上げなさることを、願わしくもお思いにならないだろうと拝見しておりますのを、事々を削がせなさって、静かな御物語の深いお願いを叶えさせなさることが、勝ってございましょう」

と申し上げなさると、厳かに聞いた御賀の事を、女二の宮の方へは言いなさないのも、労りがあるとお思いになる。

「ただこの通りです。事を削いだ様子に世人は浅く見るだろうけれど、そうは言っても、分かってしていらっしゃるのに、なるほどと、ますます思いなされております。大将は、公の方は、だんだん大人びてくるけれど、このように情け深い方は、もとよりしないのだろうか。

あの院〔朱雀院〕は、何事もお心が及びにならないことは、ほとんどない中でも、楽の方はお心を留めて、たいそう賢く知り調えなさっているのを、あのように思い捨てたようだが、静かにお聞きになり澄まされること、今こそ心遣いなさるべきだ。あの大将と共に見入って、舞の子供の用意、心構えを、よく加えなさい。物の師などという者は、ただ自分の立てたことこそあれ、たいそう残念なものだ」

などと、たいそう親しくおっしゃり尽くすのを、うれしいものから、苦しく憚られて、言葉少なく、この御前を早く立ち去ろうと思うと、例のように細やかでもなくて、ようよう滑り出た。

東の御殿で、大将が繕い出しなさる楽人、舞人の装束のことなど、またまた行い加えなさる。あるべき限り立派に尽くしなさっているのに、ますます詳しい心遣いが添うのも、なるほどこの道は、たいそう深い人でいらっしゃるようだ。

今日は、このような試みの日だが、御方々が物見なさるのに、見所なくはさせまいとして、あの御賀の日は、赤い白橡に、葡萄染の下襲を着るべきところ、今日は、青色に蘇芳襲、楽人三十人、今日は白襲を着たのが、辰巳の方の釣殿に続いた廊を楽所として、山の南の側から御前に出る頃、「仙遊霞」というものを奏して、雪がただ少し散るのに、春の隣が近く、梅の様子が見る甲斐があって微笑んでいる。

廂の御簾の内においらっしゃるので、式部卿宮、右大臣だけがお仕えなさって、それより下の上達部は簀子に、わざわざでない日のことで、ご饗応など、親しいほどにお仕え申し上げている。

右の大殿の四郎君、大将殿の三郎君、兵部卿宮の孫王の君たち二人は、「万歳楽」。まだたいそう小さい頃で、たいそう可憐である。四人ながら、どれともなく高い家の子で、容貌が趣あって大切に育て出された、思いなしも、高貴である。

また、大将の典侍腹の二郎君、式部卿宮の兵衛督と言った、今は源中納言の御子は、「皇韜」。右の大殿の三郎君は、「陵王」。大将殿の太郎は、「落蹲」。そして「太平楽」、「喜春楽」などという舞を、同じお仲間の君たち、大人たちなどが舞った。

暮れて行くと、御簾を上げさせなさって、物の興が増すのに、たいそう美しい御孫の君たちの容貌、姿で、舞の様子も、世に見えない手を尽くして、御師たちも、それぞれ手の限りをお教え申し上げたのに、深い才を加えて、珍しくお舞いになるのを、どれをもたいそう可憐とお思いになる。老いなさった上達部たちは、皆涙をお落としになる。式部卿宮も、御孫をお思いになって、御鼻が色づくまでしおれなさる。

主人の院〔源氏〕が、

「過ぎる年齢に添えては、酔い泣きこそ留め難いことだった。衛門督、心を留めて微笑まれるのは、たいそう心恥ずかしいことだ。そうは言っても、今しばらくであろう。逆さまに行かない年月よ。老いは逃れられないことだ」

と言って、ふと見やりなさると、人より格別に真面目に屈して、本当に気分もたいそう苦しいので、立派なことも目も留まらない心地がする人を特に、差し分けて、空酔いをしながらこのようにおっしゃる。戯れのようだが、ますます胸がつぶれて、盃が巡って来るのも頭が痛く思われるので、様子だけで紛らわすのを、ご覧になって咎めて、持たせながら度々強要なさるので、きまり悪くて、持て余す様子が、並の人に似ず趣がある。

気分がかき乱れて堪え難いので、まだ事も終わらないのに退出なさったままで、たいそうひどく惑って、

「例の、たいそう大げさな酔いでもないのに、どうしてこのようになるのだろう。憚りながら物を思っていたのに、気が上ったのだろうか。たいそうそう言うほど臆すべき心の弱さとは思われないのに、言っても甲斐なくもあったことだなあ」

と自ら思い知らされる。

しばらくの酔いの惑いでもなかった。そのまま、たいそうひどくお患いになる。大臣、母北の方が思い騒いで、よそよそでたいそう心もとないとして、邸にお移し申し上げなさるのを、女宮のお思いになる様子、またたいそう心苦しい。

何事もなく過ごす月日は、心がのどかでつまらない頼みにして、たいそうでもないお心ざしだが、今はとお別れ申し上げるべき門出かと思うのは、しみじみ悲しく、遅れて思い嘆かれるだろうことの勿体なさを、たいそうと思う。母御息所も、たいそうひどくお嘆きになって、

「世の事として、親をやはりそういうものとして置き申し上げて、このようなお仲は、どういう折もこういう折も、離れなさらないこそ例のことであるのに、このように引き別れて、平らかでいらっしゃるまでもお過ごしになるのが、心を尽くすことであるべきことを、しばらくここで、このように試しなさい」

と、お側に御几帳だけを隔てて拝見なさる。

「もっともなことです。数ならぬ身で、及び難いお仲に、なまじ許され申し上げて、お仕えする証には、長く世にありまして、甲斐ない身のほども、少し人と等しくなる違いをもご覧になれるだろう、と思っておりましたが、たいそうひどく、このようにさえなっておりますと、深い心ざしをさえご覧になり果てられずに終わってしまうだろうと思うにつけて、留まり難い心地にも、行きやってはいけないと思われます」

などと、互いに泣きなさって、すぐにもお渡りになれないので、また母北の方が、気がかりにお思いになって、

「どうして、まずお見えになろうとはお思いにならないのだろう。私は、気分も少し例になく心細い時は、多くの〔子〕の中で、まず取り分けて懐かしくも頼もしくも思われなさる。このようにたいそう心もとないこと〔なのに〕」

とお恨み申し上げなさるのも、また、たいそうもっともである。

「人より先だった違いだろうか、取り分けて思い慣れていたのを、今になお愛おしくなさって、しばらくもお見えにならないのを苦しいものになさるので、気分がこのように極限に思われる折にも、お見え申し上げないのは、罪深く、鬱陶しいだろう。

今はと頼みなくお聞かせなさったら、たいそう忍んでお渡りになってご覧なさい。必ずまた対面を賜るだろう。奇妙に怠くおろかな本性で、ことに触れておろそかに思われることがあっただろうことこそ、悔しくございます。このような命のほどを知らずに、行く末長くとばかり思っておりましたこと」

と、泣く泣くお渡りになった。宮〔女二の宮〕は留まりなさって、言いようもなく思い焦がれていらっしゃる。

大殿〔内大臣〕がお待ち受け申し上げなさって、万事に騒ぎなさる。実際は、たちまち大げさなご気分の様子でもなく、月頃物などをまったく召し上がらなかったのに、ますますはかない柑子などにさえお触れにならず、ただ、だんだん物に引き入れられるようにお見えになる。

そのような時の有職の方が、このようにしていらっしゃるので、世の中が惜しみ惜しがって、お見舞いに参上なさらない人はいない。内裏からも院からも、お見舞いがしばしば聞こえながら、たいそう惜しみ思いなさっているのにも、ますます親たちのお心ばかりが惑う。

六条院〔源氏〕でも、「たいそう残念なことだ」と思い驚いて、お見舞いに度々丁寧に父大臣にも申し上げなさる。大将〔夕霧〕は、ましてたいそう良いお仲なので、親しくしていらっしゃりながら、たいそう嘆き歩きなさる。

御賀は、二十五日になった。このような時に高貴な上達部が重くお患いになるのに、親、兄弟、多くの人々、そういう高いお仲間が嘆きしおれなさる頃で、物凄いようだが、次々に滞ったことさえあるのを、そうは止むべきことでないので、どうしてお思い止まりになろうか。女宮のお心のうちを、気の毒に思い申し上げさせなさる。

例の、五十寺の御誦経、また、あの方がいらっしゃるお寺でも、摩訶毘盧遮那の〔御誦経が始まる〕。

底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第35冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。