第35帖 若菜下 / 第5場面
住吉詣で
あらすじ・人物・読み方
源氏は住吉の願を果たすため、女御や紫の上らを伴って盛大に住吉へ詣でる。明石の尼君も忍んで同行し、源氏と歌を交わして往時を思い、夜通しの神楽と歌の応酬が続く。
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現代語で読む
住吉への願をようやく果たそうと、春宮の女御の祈祷のために詣でようとして、あの箱を開けてご覧になると、さまざまな仰々しい願文が多くあった。
年ごとの春秋の神楽に必ず長寿の祈りを加えた願文は、なるほど、〔源氏の〕ようなご威勢でなければ果たせそうなこととも〔明石入道は〕思っていなかった。走り書きの文面ながら才気あふれ立派で、仏も神も聞き入れてくださりそうな言葉が明らかである。
「どうしてあのような山伏聖の心に、このようなことを思いついたのだろう」と、しみじみ恐れ多くもご覧になる。「そうなる定めで、しばらく仮の姿に身をやつしていた、前世の修行者だったのだろうか」など思いめぐらすにつけ、ますます軽々しく思えなくなる。
今回はその心を表に出さず、ただ院の物詣でとして出発なさる。浦沿いが騒がしかった頃の多くの願も皆果たし尽くしたが、それでも世にこうして栄えを見るにつけ神の助けは忘れがたく、対の上もお連れするよう申し上げて詣でなさる、その評判は尋常でない。できるだけ行事を削り、世間の煩いがないようにと省かせたが、限度があり、珍しく立派な装いになった。
上達部も、二人の大臣を除いては皆お仕えする。舞人は衛府の次将たちのうち容貌清らかで背丈の揃った者ばかりを選ばせなさる。この選に入らないのを恥として、嘆き悲しむ風流な者たちもいた。
陪従も石清水・賀茂の臨時祭に召される人々のうち、各分野に優れた者ばかりを整えさせた。加わった二人は近衛府の名高い者ばかりを召したのだった。
御神楽の方にはとても多くの人が仕えた。内裏・春宮・院の殿上人が方々に分かれて、心を寄せて仕える。数知れずいろいろに尽くした上達部の馬・鞍・馬副・随身・小舎人童・次々の舎人まで整え飾った見物は、またとない様子である。
女御殿と対の上は一つの車にお乗せした。次の車には明石の御方と尼君が人目を忍んで乗った。女御の乳母が事情を知る者として乗った。方々の〔車〕、上の御方の五つ、女御殿の五つ、明石の御方の三つと、目も眩むほど飾った装束や様子は言うまでもない。そういえば、
「尼君を、どうせなら老いの波の皺が延びるほど人らしく装って詣でさせよう」
と院はおっしゃったが、
「今回はこのように大げさな評判の中に交じるのは傍ら痛い。もし思うような世の中を待ち得たならば」
と御方は制したが、残りの命が気がかりで、どうにか見たくて慕って参上なさったのだった。そうなる定めで、もともとこう香る身分の方々よりも素晴らしかった契りが、明らかと思い知らされる人のご様子である。
十月の十日なので、神の斎垣に這う葛も色づき、松の下紅葉などは、噂にだけ秋を聞くのではない顔つきである。仰々しい高麗・唐の楽より、耳馴れた東遊は懐かしく面白く、波風の音に響き合い、高い松風に吹き立てた笛の音も他で聞く調べと違って身にしみ、琴に合わせた拍子も鼓を離れて調えた方が仰々しくなく、艶で凄く面白く、場所柄ますます聞こえた。
山藍で摺った竹の節は松の緑と見紛い、挿頭の色々は秋草と異なる区別もつかず、何事にも目ばかりが惑う。
「求子」が終わる頃、若い上達部は肩を脱いで下りる。香りもなく黒い袍に蘇芳襲の葡萄染の袖を急に引き綻ばせ、紅深い衵の袂が時雨れたように僅かに濡れた様子は、松原を忘れて紅葉の散る景色に思い渡される。
見甲斐多い姿々に、とても白く枯れた荻を高く挿して、ただ一巡り舞って入るのは、とても面白く飽きない。
大殿は昔を思い出され、中頃沈んでいた世の様子も目の前のように思われ、その頃のことを打ち乱れて語れる人もいないので、致仕の大臣を恋しく思い申し上げた。
お入りになって、二の車に忍んで、誰がまた心を知って、神代を経た住吉の松に尋ねるだろうか。〔歌を〕畳紙に書きなさった。尼君はしおれる。このような世を見るにつけても、あの浦で今は限りと別れた頃の女御の君の様子などを思い出すにつけても、とても恐れ多かった身の宿世のほどを思う。世を背いた人も恋しく、さまざまに悲しいが、一方では縁起でもないと言忌みして、
住の江に生きる甲斐ある渚だと、年を経た尼も今日こそ知るだろう。遅くては不都合だろうと、ただ思ったまま〔詠んだ〕のだった。
昔のことはまず忘れられない、住吉の神のしるしを見るにつけても。と独り言を言った。
一晩中遊び明かす。二十日の月が遥かに澄み、海面が面白く見え渡るのに、霜がひどく置いて松原も色紛い、何もかもそぞろ寒く、面白さも哀れさも加わる。
対の上は、いつもの垣根の内ながら時々に興ある朝夕の遊びに耳も目も馴れていたが、御門の外の見物は滅多になさらず、まして都の外の外出はまだ慣れていないので、珍しく面白く思う。
住の江の松に夜深く置く霜は、神が掛けた木綿鬘だろうか。篁の朝臣が「比良の山さえ」と詠んだ雪の朝を思いやると、祭の心を受け止めるしるしかと、ますます頼もしくなる。女御の君は、
神職の手に取る榊葉に、木綿に添えて掛かる深夜の霜よ。
中務の君は、祝子の木綿と見紛う置く霜は、本当に著しい神のしるしだろうか。次々数知れず多かった歌を、どうして聞き置こうか。このような折の歌は、いつもの上手らしい男たちもかえって消え入り、松の千歳から離れて今風のことがないので、煩わしいほどだ。
ほのぼの明けゆく頃、霜はますます深く、本も末もたどたどしいほど酔い過ぎた神楽面たちが自分の顔も知らず面白いことに心が染み、庭燎の影も湿っているのに、なお「万歳、万歳」と榊葉を取り替えながら祝い申し上げる御代の末を思いやると、ますます感慨深い。
何もかも飽きず面白いまま、千夜を一夜にしたい夜が何でもなく明けてしまい、帰る波と競うのも口惜しく、若い人々は思う。
松原に遥々立て続けた車ども、風になびく下簾の隙々も常磐の蔭に花の錦を加えたように見え、袍の色々に区別を置き、立派な懸盤を取り続けて物を差し上げるのを、下人などは目につけて立派だと思う。
尼君の御前にも浅香の折敷に青鈍の表を折って精進物を差し上げ、「目覚ましい女の宿世だな」と、それぞれ走り回っていた。
詣でた道は仰々しく煩わしい神宝で狭苦しかったが、帰りはあらゆる逍遥を尽くす。言い続けるのも煩わしく難しいことどもなので〔省略する〕。
このようなご様子を、あの入道が聞かず見ない世に遠く離れていることだけが、物足りなかった。難しいことだ、交じろうとしても見苦しいだろう。世の人はこれを例として、心が高くなる頃らしい。何事につけても感嘆し、世の語り草として「明石の尼君」と幸せな人と言った。あの致仕の大殿の近江の君は双六を打つ時の言葉にも「明石の尼君、明石の尼君」と賽の目を乞うた。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第35冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。