第35帖 若菜下 / 第9場面
語らいの夜と発病
あらすじ・人物・読み方
女楽の後、源氏は紫の上と女三の宮の琴を語り合い、三十七歳になる紫の上へ今年は慎むよう勧め、来し方の女性たちを回想する。紫の上は出家の許しを請うが源氏は退ける。その夜更けから紫の上は胸を病み始める。
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現代語で読む
私の北の方〔雲居雁〕は、故大宮がお教え申し上げなさったけれど、心にも留めなさらなかったうちにお別れ申し上げなさったので、ゆったりと弾きこなすこともできず、男君〔夕霧〕の御前では恥ずかしがって全く弾きなさらない。何事もただおっとりとしていて、子どもたちの世話を暇なく次々になさるので、面白いところもなく思われる。さすがに、気性が悪くて嫉妬したりするのも、愛敬があって美しい人柄でいらっしゃるようだ。
院〔源氏〕は対へお渡りになった。上〔紫の上〕は残りなさって、宮〔女三の宮〕にお話などを申し上げなさって、明け方にお渡りになった。日が高くなるまでお休みになった。
「宮の御琴の音は、たいそう上達したことだね。どのようにお聞きになりましたか」
と申し上げなさると、
「最初のころ、あなたでかすかに聞いた時は、どうだったかと思ったものを、たいそう格別になりました。どうして、こんなに他のことをせずにお教え申し上げなさるのでしょうか」
とお答え申し上げなさる。
「その通り。手を取って教えると、確かな物の師だよ。これこれにも、面倒で煩わしくて暇の要る業なので、お教え申し上げないのを、院〔朱雀院〕にも内裏にも、琴はまさか習わせ申し上げているだろうとおっしゃると聞くのが気の毒で、そうは言っても、それほどのことだけでも、このように特別に後見としてお預けなさった証にはと、思い起こしてね」
などと申し上げなさるついでにも、
「昔、世慣れない頃を、世話し思った様子、その時代には暇も珍しくて、心のんびりと特別にお教え申し上げることなどもなく、近頃も、何となく次々に紛れながら過ごして、聞き世話しない御琴の音が、立派に出世したのも、面目があって、大将〔夕霧〕がひどく傾いて驚いていた様子も、思うように嬉しかったことだ」
などと申し上げなさる。
このような方面も、今はまた大人しく、宮たちのご世話などを持ち受けてなさる様子も、至らないことなく、すべて何事につけても、もどかしく頼りないことが混じらず、稀有な人のご様子なので、たいそうこのように完備した人は、世に長くない例もあるとかと、不吉なまでに思い申し上げなさる。
さまざまな人の様子を見集めなさるにつれて、取り集めて満たされていることは、本当に比べるものがないとばかり思い申し上げていらした。今年は三十七歳におなりになる。拝見なさった年月々のことなども、しみじみと思い出しなさったついでに、
「相応の御祈りなど、常よりも特別に、今年は慎みなさい。物騒がしくばかりいて、思い至らないこともあるだろうを、やはり、お考え巡らして、大きなことどももしなさるなら、自然とさせるだろう。故僧都がいらっしゃらなくなっているのが、たいそう残念だ。大方で頼もうにも、たいそう賢かった人を」
などとおっしゃり出す。
「自分は幼い頃より、人と異なる様子で、仰々しく成長して、今の世の評判や様子は、過去に比べるものが少なくあった。しかしまた、世に優れて悲しい目を見る方面も、人より勝っていたのだよ。
まずは、思う人にさまざまに後れ、残り留まった年齢の末にも、飽きず悲しいと思うことが多く、つまらなくそうあるまじきことにつけても、妙に物思いがわしく、心に飽き足らず思われることが添った身で過ぎてきたので、それに代えてか、思ったほどよりは、今までも長らえるのだろうと、思い知らされる。
君の御身には、あの一節の別れより、あちらこちら、物思いと言って、心が乱れなさるほどのことはないだろうと思う。后と言い、ましてそれより次々は、高貴な人と言っても、皆必ず安らかでない物思いが添う業である。
高い交わりにつけても、心が乱れ、人と争う思いの絶えないのも、安らかでないのに、親の窓のうちにいながら過ごしなさっているような心安いことはない。その方面、人より優れていた前世の因縁とはお思い知りですか。
思いの外に、この宮がこのようにお渡りになっているのは、生半可に苦しいだろうけれど、それにつけては、ますます加わる心配りのほどを、ご自身の上のことなので、お思い知らないことがあろうか。物の心も深く知りなさるようだから、そうは言ってもと、思う」
と申し上げなさると、
「おっしゃるように、儚い身には、過ぎた世間の評判はあるだろうけれど、心に堪えない嘆かしさばかりが添うのは、それは自分の祈りだったのですね」
と言って、名残多そうな様子が、恥ずかしそうである。
「真実には、たいそう行く先の少ない心地がするのに、今年もこのように知らない顔で過ごすのは、たいそう気がかりです。前々も申し上げること、どうにかご許可があれば」
と申し上げなさる。
「それは、あるまじきことだよ。そうして、離れ去りなさる世に残っては、何の甲斐があろう。ただこのように何となく過ごす年月だけれど、明け暮れ隔てのない嬉しさばかりが、比べるものなく思われる。やはり思う様子の異なる心のほどを見届けなさい」
とばかり申し上げなさるのを、いつものことと心苦しくて、涙ぐみなさっている様子を、たいそうしみじみと拝見なさって、万事に申し上げて紛らわしなさる。
「多くはないけれど、人の様子の、それぞれに残念ではないのを見知っていくにつれて、真の心ばえがおっとりと落ち着いていることこそ、たいそう難しい業であるよと、思い尽くしている。
大将の母君〔葵の上〕を、幼かった頃に見初めて、高貴で避けられない筋には思ったのを、常に仲が良くなく、隔てがある心地がして終わったのが、今思えば、気の毒で悔しくもある。
また、自分の過ちばかりでもなかったなどと、心ひとつに思い出す。端正で重々しくて、そのことが飽きないなと思われることもなかった。ただ、たいそうあまり乱れたところがなく、すくすくしく、少し賢いと言ってよいだろうかと、思うには頼もしく、見るには煩わしかった人柄であるよ。
中宮の御母、御息所〔六条御息所〕は、様子が格別に心深く艶やかな例には、まず思い出されるけれど、人目に見えにくく、苦しかった様子であったよ。恨むべき節は、本当に尤もと思われる節を、そのまま長く思い詰めて、深く恨まれたのが、たいそう苦しかった。
心の緩みがなく恥ずかしくて、自分も人も気を緩め、朝夕の睦びを交わそうには、たいそう遠慮深いところがあったので、打ち解けては見落とされることかなどと、あまり取り繕ったうちに、そのまま隔たった仲であるよ。
たいそうあるまじき名を立てて、身が軽々しくなってしまった嘆きを、ひどく思い締めなさっていたのが気の毒で、本当に人柄を思ったのも、自分の罪がある心地がして終わった慰めに、中宮をこのように相応の御契りとは言いながら、取り立てて、世の非難、人の恨みをも知らず、心を寄せ申し上げるのを、あの世ながらも見直されているだろう。今も昔も、いい加減な心の慰みに、気の毒で悔しいことも多くあるよ」
と、過去の人の御上を、少しずつおっしゃり出して、
「内裏の御方〔藤壺〕の後見は、どれほどのほどでもないと、侮り始めて、心安いものに思ったのを、やはり心の底が見えず、際限なく深いところのある人であるよ。表面は人に従い、おっとりと見えながら、打ち解けない様子が下に籠もっていて、なんとなく恥ずかしいところがある」
とおっしゃると、
「他の人は見なければ知らないのに、これは、完全ではないけれど、自然と様子を見る折々もあるのに、たいそう打ち解けにくく、心恥ずかしい様子が明らかなのを、たいそう例えようのない恨めしさを、どのようにご覧になるのだろうと、遠慮されるけれど、女御は、自然とお許しになるだろうとばかり思って」
とおっしゃる。
それほど目覚ましいと心を置きなさっていた人を、今はこのように許して見え交わしなどなさるのも、女御の御ための真心である余りであるよと思われるのに、たいそう有り難いので、
「君こそは、さすがに隈のないわけではないものから、人により、ことに従い、たいそうよく二筋に心遣いはなさった。さらにここら見ても、御様子に似た人はいなかった。たいそう様子こそなさっている」
と、微笑んで申し上げなさる。
「宮に、たいそうよく弾きこなしなさったことの喜びを申し上げよう」
と言って、夕方お渡りになった。自分に心を置く人があろうともお思いにならず、たいそうひどく若々しく、一途に御琴に心を入れておいでになる。
「今は、暇を許して休ませなさいな。物の師は心を満足させてこそ。たいそう苦しかった日頃の甲斐があって、後ろ安くなりなさったことだ」
と言って、御琴どもを押しやって、お休みになった。
対では、いつものいらっしゃらない夜は、宵居なさって、人々に物語などを読ませて聞きなさる。
「このように、世の例えに言い集めた昔語りどもにも、浮ついた男、色好み、二心ある人に係わり合った女、このようなことを言い集めたのにも、ついに頼る方あってこそあるようだ。妙に、浮いても過ごしてきた様子だな。本当に、おっしゃったように、人より異なる前世の因縁もあった身ながら、人が忍びがたく飽きないことにする物思いが離れない身で終わるのだろうか。つまらなくもあるな」
などと思い続けて、夜が更けてお休みになった、明け方から、御胸をお悩みになる。人々が拝見しお世話して、
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第35冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。