第36帖 柏木 / 第10場面
柏木の死
あらすじ・人物・読み方
夕霧は柏木の打ち明けに思い当たる節がありながら、源氏が深く嘆いていると伝えて慰める。柏木は秘密を漏らさぬよう念を押し、一条の女二の宮への見舞いを託して夕霧を帰す。その後柏木は女二の宮にも会えぬまま亡くなり、父母をはじめ人々は深く嘆き、尼宮も若君の宿命を思って涙する。
下の同じ枠で原文・発音の読み・現代語を一節ずつ確認できます。どの読み方から始めても読了を記録できます。
表示と音声の設定
現代語で読む
などとおっしゃるにつれて、とても苦しそうにばかり見えなさるので、〔夕霧は〕ひどく〔悲しく〕、心の内に思い当たることもあるけれど、はっきりとは推し量ることもできない。
「どんなお心の鬼〔の仕業〕でしょうか。まったく、そのようなご様子もなく、こんなに重くなられた由もお聞きになって驚き嘆かれること、限りなく残念がり申し上げていらっしゃるようでした。どうして、こんなにお思いになることがあるのに、今まで黙っていらっしゃったのでしょう。こちらへもあちらへもお取りなし申し上げることができたものを。今は言っても甲斐がありません」
と言って、〔時を〕取り戻したいほど悲しく思われる。
「本当に、少しでも暇があった折に、申し上げてお聞き入れていただくべきでした。しかし、こんなに今日明日とも知れない、自分ながら分からない命のほどを、のんびり構えていたのもはかないことです。このことは、決してお心から漏らしてはいけません。ふさわしい機会がある折には、ご配慮を加えてくださいと、申し上げておくのです。
一条にいらっしゃる宮〔女二の宮〕を、何かにつけてお見舞い申し上げてください。心苦しい様子で、院〔源氏〕などにもお聞きになるだろうことを、〔うまく〕取り繕ってください」
などとおっしゃる。言いたいことは多いはずだけれど、〔苦しくて〕どうにもならなくなったので、
「お帰りになってください」
と、手で〔帰るよう〕合図し申し上げなさる。加持に参る僧たちが近くに参り、上〔柏木の母〕や大臣〔父〕などが集まっていらして、人々も立ち騒ぐので、〔夕霧は〕泣く泣く退出なさった。
女御〔柏木の妹の更衣〕のことは言うまでもなく、この大将〔夕霧〕のお方などもひどく嘆いていらっしゃる。〔柏木は〕心遣いが、広く人々の長としての心でいらっしゃったので、右の大殿の北の方も、この君だけを、親しいものと思い申し上げていらっしゃったので、万事に思い嘆いて、お祈りなど特にさせなさったけれど、止める薬ではないので、甲斐のないことだった。女宮〔女二の宮〕にも、ついにお会い申し上げることができず、泡が消え入るようにお亡くなりになった。
長年、内心は丁寧で深くもなかったが、大方には、とても理想的にもてなして大切にし申し上げて、気が優しく、心遣いが趣深く、打ち解けない様子で過ごしていらっしゃったので、つらい節も特にない。ただ、
「こんなに短かったご寿命で、妙に世間一般をすさまじく思っていらっしゃったのだった」
と思い出しなさると、ひどく〔悲しくて〕、思い沈んでいらっしゃる様子は、とても心苦しい。
御息所〔柏木の母〕も、「ひどく人の笑いものになって残念だ」と、拝見して嘆かれることは、限りがない。
大臣〔父〕や北の方〔母〕などは、まして言いようもなく、
「私こそ先に死ぬべきだったのに。世の道理がなくつらいことだ」
と焦がれるように〔嘆かれる〕けれど、何の甲斐もない。
尼宮〔女三の宮〕は、〔柏木の〕身の程知らずの心も不快にばかり思われて、長生きしてほしいとも思わなかったが、こう〔亡くなった〕とお聞きになるのは、さすがにとても哀れであることよ。
「若君〔薫〕のことを、きっと〔柏木が気にしていた〕と思っていたのも、本当に、そうなるべき宿命で、思いのほかに心憂いこともあったのだろう」とお思い寄せになると、さまざまに心細くて、お泣きになった。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第36冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。