第36帖 柏木 / 第11場面
五十日の祝い
あらすじ・人物・読み方
弥生、薫が五十日を迎え、源氏は剃髪した女三の宮を怨みながらも日ごと訪れる。五十日の祝いに朱雀院も訪れ、源氏は若君を抱いて柏木にそっくりな面差しに涙するが、事情を表には出さない。
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現代語で読む
弥生になると、空の様子も何となくのどかで、この君〔薫〕は五十日ほどにおなりになって、たいそう色白で可愛らしく、月数よりは大人びて、お話などなさる。大殿〔源氏〕がお渡りになって、
「〔宮の〕ご気分は、すっきりなさいましたか。ああ、たいそう甲斐のないことでございますな。いつもの〔出家前の〕お姿で、このように〔若君を〕見慣れ申し上げたなら、どんなにうれしかったでしょう。〔私を〕情けなく、お見捨てになったことです」
と、涙ぐんでお恨み申し上げなさる。〔源氏は〕日ごとにお渡りになって、今は格別に、この上なく大切におもてなし申し上げなさる。
五十日の祝いに餅を差し上げようとして、〔剃髪で〕お姿の変わった〔宮の〕ご様子を、人々が「どうなさるのでしょう」などと申し上げかねていると、院〔朱雀院〕がお越しになって、
「何を〔ためらうことがあろう〕。女でいらっしゃるのだからこそ、同じ血筋として、疎ましくもあるだろうが〔祝いはするものだ〕」
と言って、南向きに小さな御座などをしつらえて、〔餅を〕差し上げなさる。乳母は、たいそう華やかに装束を着て、御前に置く品々、工夫を尽くした籠物や桧破籠の趣向の数々を、内にも外にも、〔事情という〕もとの心を知らないことなので、取り散らして、何の気なしにしているのを、〔源氏は〕「たいそう心苦しく、まぶしいほどの仕業だな」とお思いになる。
宮も起き上がっていらして、髪の末が所狭しと広がっているのを、たいそう苦しいとお思いになって、額などを撫でつけていらっしゃるところへ、〔源氏が〕几帳を引きやってお座りになるので、〔宮は〕たいそう恥ずかしくて背けていらっしゃるのを、〔宮は〕ますます小さく細くなって、御髪は惜しみ申し上げるほど〔美しく〕、長く削いであるので、後ろ姿は〔剃髪前と〕格別に区別もお見えにならないほどである。
ところどころ見える鈍色の衣どもや、黄みがかった今様色などを着ていらして、まだ着慣れないご様子ながら、こうしているとなお可愛らしい子どものような心地がして、艶やかで趣がある。
「ああ、なんと情けない。墨染の衣こそは、やはり、たいそう厭わしく目もくらむ色なのだな。このような姿でも、お目にかかることは絶えないのだと、思い慰めてはいるが、どうにもならない心地がする涙の見苦しさを、このようにお見捨て申し上げられた我が身の罪と思いなすにつけても、さまざまに胸が痛く口惜しいことです。〔時を〕取り返せるものであってほしいなあ」
と、嘆いていらして、
「今は〔出家したのだから〕とお離れになれば、本当にご自身のお心で厭ってお捨てになったのだと、恥ずかしく情けなく思われるに違いありません。やはり、哀れと思ってください」
と申し上げなさると、
「このような身の者は、ものの哀れも知らない者と聞きましたが、まして〔私は〕もともと知らないことなので、どう申し上げられましょう」
とおっしゃると、
「甲斐のないことですな。お分かりになる面もおありでしょうに」
とだけおっしゃりかけて、若君を御覧になる。
乳母たちは、高貴で、感じのよい方々が大勢お仕えしている。〔源氏は乳母たちを〕呼び出して、〔若君に〕お仕えする際の心構えなどをおっしゃる。
「ああ、残り少ない〔私の〕世に、成長なさるべきお方なのだな」
と言って、〔若君を〕抱き取りなさると、〔若君は〕たいそう安心して微笑み、まるまると肥えて色白で可愛らしい。大将〔夕霧〕などの幼い頃の成長を、かすかにお思い出しになるのともお似せにならない。女御の御子たちもまた、父帝のお血筋で、帝王の気配を帯びて気高くていらっしゃるが、格別に優れて立派というほどでもいらっしゃらない。
この君は、たいそう上品な上に、愛敬があり、目つきに薫るような魅力があり、笑みがちなことなどを、〔源氏は〕たいそう愛しいと御覧になる。思いなしか、やはり、たいそうよく〔柏木に〕似ていることよ。生まれたばかりながら、目の据わりののどかで恥ずかしそうな様子も、並離れて、薫るように趣のある顔立ちである。
宮はそれほどお気づきではない。人々もまた、全く知らないことなので、ただお一人〔源氏〕のお心の中にだけ、
「ああ、はかなかった人の宿縁だなあ」
と御覧になると、世の無常も思い続けられ、涙がほろほろとこぼれるのを、今日は忌み言葉を慎むべき日だと言って、押し拭ってお隠しになる。
「静かに思って、嘆くのに堪えた」〔漢詩の一節〕
と、口ずさみなさる。五十八歳から十を差し引いたお歳ではあるが、晩年になった心地がなさって、たいそうもの哀れにお思いになる。「お前の祖父に〔諌めよ〕」とも、〔朱雀院を〕諌めたいとお思いになったのだろう。
「この事の事情を知っている人は、女房の中にもいるだろう。知らないのが、妬ましい。愚かなことと見るだろう」と、穏やかでなくお思いになるが、「自分の罪があることは耐えられよう。二言目を言うとなれば、女〔女三の宮〕のためこそ、気の毒だ」
などお思いになって、顔色にもお出しにならない。たいそう何気なく物語して笑っていらっしゃる目つきや、口元の可愛らしさも、「事情を知らない人はどう〔思う〕だろう。やはり、たいそうよく似通っていることよ」と御覧になると、「〔柏木の〕親たちが、子だけでもあってほしいと、泣いていらっしゃるだろうにも、見せることもできず、人知れずはかない形見だけを残し置いて、あれほど思い上がり、大人びていた身を、自らの心で失ってしまったことよ」
と、哀れに惜しいので、目覚ましいと思う心も翻し、泣かれてしまわれた。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第36冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。