第39帖 夕霧 / 第17場面
九月の小野、鹿の歌
あらすじ・人物・読み方
夕霧は御忌が過ぎてからと心を静めようとするが忍びきれず、また小野へ渡る。九月の山里のもの悲しい景色の中、少将の君を近くに呼んで御息所の最期の様子を聞き、二人で泣く。鹿の声に寄せて夕霧が歌を詠むと少将の君が返歌するが、宮からのお返事はすげなく、夕霧は嘆きながら帰る。
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現代語で読む
〔夕霧は〕やはり、このように〔宮のことが〕はっきりせず思い悩んで、また〔小野へ〕お渡りになった。「御忌などが過ぎて落ち着いてから」と心を静めようとなさるけれど、それほどにも忍ぶことがおできにならず、「今はこの〔宮との〕浮名を、どうして強いて包み隠そうか。ただ世間並みに、最後には思いが叶うはずなのだから」と、お考えをめぐらしておられたので、北の方〔御息所〕のご配慮に、強いて反論申し上げることもなさらない。
ご本人〔宮〕は強く心を離そうとなさっても、あの一夜だけの御恨みの文を頼りどころにかこつけて、「〔宮が私への思いを〕洗い落としきることはおできになるまい」と、〔夕霧には〕頼もしく思われた。
九月十日過ぎ、野山の景色は、深く見知らない人でさえ、ただではいられない思いがする。山風に堪えられない木々の梢も、峰の葛の葉も、気ぜわしく争い散る紛れに、尊い読経の声がかすかに、念仏などの声ばかりして、人の気配はたいそう少なく、木枯らしが吹き払っているところに、鹿はただ籬のもとにたたずみながら、山田の引板の音にも驚かず、色濃い稲の中に混じって鳴くのも、悲しげな顔つきである。
滝の音は、ますます物思う人を驚かせるように、耳にうるさく轟き響く。草むらの虫だけが、寄る辺なげに鳴き弱って、枯れた草の下から、龍胆が、われひとりだけ心長く這い出て、露に濡れて見えるなど、どれも例年のこの頃のことであるけれど、時節柄、場所柄だろうか、たいそう堪えがたいほどの、もの悲しさである。
〔夕霧は〕例の妻戸のもとにお立ち寄りになって、そのまま外を眺め出して立っていらっしゃった。親しみのあるほどの直衣に、色の濃やかな御衣の擣目が、とても美しく透けて、影の弱った夕日が、さすがに何の心もなく差してくるのに、まぶしそうに、わざとらしくなく扇を差し隠していらっしゃる手つきは、「女こそこうありたいものだ、それさえもできないのに」と、〔少将の君は夕霧を〕拝見する。
〔夕霧は〕物思いの慰めにできそうな、ほほ笑ましい顔の美しさで、少将の君を、特に呼び寄せる。簀子ほどの隔てもないけれど、奥に〔宮が〕付き添っていらっしゃるのではないかと気にかかって、細やかに語り合うこともおできにならない。
「やはり近くに〔いてください〕。放しなさるな。このように山深く分け入る〔私の〕心ざしは、隔てを残すはずがありましょうか。霧もたいそう深いことです」と言って、わざと目も入れない様子で、山の方を眺めて、「もっと、もっと」と切におっしゃると、〔少将の君は〕鈍色の几帳を、簾の端から少し押し出して、裾を引き寄せながら座っていた。〔少将の君は〕大和守の妹なので、〔宮に〕お仕えして離れ申し上げないうちに、幼い頃から〔宮が〕お育て申し上げになっていたので、衣の色はたいそう濃くて、橡の衣一襲に、小袿を着ていた。
「このように尽きない御事は、それはそれとして、申し上げようもないお心のつらさを思い添えるにつけ、心も魂もさまよい果てて、見る人ごとに咎められますので、今はまったく忍ぶすべがありません」と、たいそう長く恨み続けておっしゃる。あの今はの際の〔御息所の〕御文の様子などもお話しになって、ひどくお泣きになる。
この人〔少将の君〕も、ましてひどく泣き入りながら、「その夜の御返事さえ見えませんでしたのに、今は限りの御心で、そのまま思い入りなさって、暗くなった頃の空の様子に、ご気分が乱れてしまわれたのを、そのような弱った目に、例の御物の怪が引き入れ申し上げたのだと、拝見しました。過ぎ去った御事でも、ほとんどご気分が乱れてしまいそうな折々が多くございましたが、宮が同じように沈んでいらっしゃるのを、お慰め申し上げようという御心の強さで、ようやく物事をお覚えになっていらっしゃいました。この御嘆きについては、御前〔宮〕では、ただぼんやりしたご様子で、呆然と暮らしていらっしゃいます」などと、止めがたい様子で嘆きながら、はかばかしくもなく申し上げる。
「その通りだ。そもそもあまりに頼りなく、言いようもないお心だ。今は、畏れ多いことでも、誰を頼りに思い申し上げなさるのだろう。御山住まいも、たいそう深い峰に、世の中を思い絶った雲の中であるようだから、ご連絡を通わせなさることも難しい。たいそうこのように心憂いご様子を、〔私に〕お知らせください。万事は、そうあるべき運命なのです。世に長く生きようと思っても、思い通りにならない世の中です。まずは、このようなお別れが、御心に叶うならば、あるべきことでしょうか」
などと、万事につけて多くおっしゃるけれど、〔少将の君は〕申し上げる言葉もなくて、嘆きながら座っていた。鹿がたいそうひどく鳴くのを、「私が劣ろうか」と言って、里が遠いので、小野の篠原を分けて来て、私も鹿のように声を惜しまず〔鳴こう〕とおっしゃると、
藤衣を着る、露の多い秋の山の人は、鹿の鳴く音に泣く音を添えたことです〔歌は〕よくはないけれど、折柄ゆえに、静かな声遣いなどを、〔夕霧は〕よいものとして聞きなさっていらっしゃった。
〔夕霧が宮へ〕御消息をあれこれと申し上げなさるけれど、「今は、このように情けない夢のような世を、少しでも思い覚ます折がありましたら、絶えずいただくお見舞いに〔も〕お返事申し上げましょう」とだけ、きっぱりと言わせなさる。「ひどく言いようもないお心であることよ」と、〔夕霧は〕嘆きながらお帰りになる。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第39冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。