第39帖 夕霧 / 第19場面
六条院の憂慮
あらすじ・人物・読み方
六条院の源氏は夕霧の振る舞いを聞き、宮と雲居雁の双方への気の毒さを思いながらも口出しを控える。紫の上との語らいを経て、参上した夕霧とは御息所の法事や宮の様子について言葉少なに交わし、諌めることをやめる。
下の同じ枠で原文・発音の読み・現代語を一節ずつ確認できます。どの読み方から始めても読了を記録できます。
表示と音声の設定
現代語で読む
六条院〔源氏〕も〔夕霧のことを〕お聞きになって、〔夕霧が〕たいそう大人しく万事を思い静め、人の非難する所なく、無難に過ごしていらっしゃるのを、面目立たしく〔思い〕、ご自身が昔、少しふざけて、浮ついた名を取ったことの面目を回復するものとして、嬉しく思い続けていらっしゃるのに、「気の毒で、どちらの側にも心苦しいことがあるだろうことだ。遠く離れた間柄でさえなく、大臣〔致仕の大殿〕なども、どのようにお思いになるだろう。それほどのことを、〔夕霧が〕思い至らないはずはない。前世からの因縁というものは、逃れきれないものだ。いずれにせよ口出しすべきことではない」と〔源氏は〕お思いになる。女性〔落葉の宮〕のためだけに、どちらの側にも気の毒だとして、むやみに〔うわさを〕お聞きになって嘆く〔人々がいる〕。
紫の上に対しても、過去と将来のことを思い出しながら、このような例を聞くにつけても、〔源氏が〕亡くなった後、〔紫の上が〕気がかりだと申し上げる様子をおっしゃると、〔紫の上は〕お顔を赤らめて、「心憂いこと、そんなにまで〔私を〕後れさせなさるつもりなのか」とお思いになっていた。
「女性ほど、身の処し方も窮屈で、哀れであるべきものはない。物の情趣や、折に触れた趣のあることも、見知らない様子で引きこもって沈んでなどいれば、何によって、世を過ごす晴れやかさも、無常な世の手持ち無沙汰をも慰めることができるだろうか。大方、物の心を知らず、言っても甲斐のない者として慣れてしまったなら、育て上げた親も、たいそう残念なことではないか。心の中にだけ籠めて、無言太子とか、小法師たちを悲しいことにする昔の例えのように、悪いこと良いことを思い知りながら、埋もれてしまうのも、言っても甲斐がない。自分の心ながらも、良いほど合いには、どうして保つことができるだろうか」と〔源氏が〕思い巡らすのも、今はただ女一の宮のためである。
大将の君〔夕霧〕が参ったついでがあって、〔宮のことを夕霧が〕お思いになっている様子も知りたくて、「御息所の忌は終わったのだろうな。昨日今日と思う間に、三年より向こうのことになってしまう世であることよ。しみじみと、つまらないことだ。夕べの露がかかるほどの〔短い命への〕執着よ。どうにかしてこの髪を剃って、万事を背き捨てようと思うのに、あんなにのどかな様子でも過ごしているとはなあ。たいそう悪い行いだよ」とおっしゃる。
「ほんとうに惜しくもない人でさえ、〔出家したいと〕申すようです」などと申し上げて、「御息所の四十九日の法事などは、大和守の某朝臣が、一人で取り扱っておりますが、たいそう哀れなことです。しっかりした頼りのない人は、生きている世の限りで、このような世の果てこそ、悲しいことでございます」と、〔夕霧は源氏に〕申し上げなさる。
「院〔朱雀院〕からもお弔いさせなさるだろう。あの皇女〔落葉の宮〕は、どのように思い嘆いていらっしゃるだろう。以前聞いていた頃より、この近い年頃、折に触れて聞き見るにつけ、この更衣〔御息所〕こそ、残念でなく無難な人のうちであった。世間一般についても、惜しいことだ。そうであって当然の人が、こうして亡くなっていくとはね。院も、たいそう驚いてお思いになっていたそうだ。あの皇女こそは、ここにいらっしゃる入道の宮に次ぐものとして、可愛がっていらっしゃった。人柄もよくいらっしゃるに違いない」とおっしゃる。
「〔宮の〕お心はどのようにでいらっしゃるでしょうか。御息所は、申し分のなかった人の様子や心構えでございました。親しく打ち解けていらっしゃらなかったけれど、ちょっとしたことの折に、自然と人の心遣いは現れるものでございます」と〔夕霧が〕申し上げて、宮の御事にも触れず、たいそうそっけない。
「これほどの真っ直ぐな心で思い始めたことは、諌めても叶わないだろう。用いないだろうに、自分が賢しらに言い出すのもつまらない」と〔源氏が〕お思いになってやめてしまった。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第39冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。