第39帖 夕霧 / 第24場面
三条殿の夫婦の諍い
あらすじ・人物・読み方
三条殿へ移った夕霧は、帳に臥す雲居雁と鬼に例えた言い合いを交わし、慰めるうちに和やかさを取り戻すが、心は落葉の宮への思いに上の空である。夕霧が香を焚きしめて出かける姿を見送った雲居雁は、単衣の袖を引き寄せて独り歌を詠み、夕霧は松島の歌で返して急ぎ出ていく。
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現代語で読む
日が高くなってから、〔夕霧は〕三条殿へお移りになった。お入りになるとすぐ、若君たちが、それぞれ可愛らしい様子で、まとわりついて遊んでおられる。女君〔雲居雁〕は、帳の中で横になっておられた。
〔夕霧が〕お入りになっても、〔雲居雁は〕目もお合わせにならない。〔私が〕つらいのだろうと〔夕霧が〕ご覧になるのももっともだが、〔雲居雁は〕遠慮した顔にもお振る舞いにならず、御衣を引き寄せなさると、
「どこへ行っていらしたのですか。私は早くも死んでしまいました。いつも鬼とおっしゃるので、同じことなら〔鬼に〕なり果てようかと思って」とおっしゃる。
「お心こそ、鬼よりもひどくいらっしゃいますが、お姿には憎らしげなところもないので、疎み果てることはできません」と、何気なく言いなさるのも、〔雲居雁は〕癪にさわって、
「立派な様子で優美にしていらっしゃる辺りに、居続けられる身でもないので、どこへなりとも消えてしまおうとするのを、せめてそのように思い出さないでください。わけもなく長年連れ添ってきたことさえ、悔しいのに」と言って、起き上がりなさった様子は、たいそう愛敬があって、匂うように少し赤らんだ顔が、たいそう愛らしい。
「このように子供っぽく腹を立てなさるからでしょうか、見慣れて、この鬼こそ、今は恐ろしくもなくなってしまいました。〔鬼の〕神々しい気を添えたいものです」と、戯れに言いなさるけれど、
「何を言うのですか。すっかり死んでおしまいなさい。私も死にましょう。〔あなたは〕見れば憎らしい。聞けば愛敬もない。見捨てて死ぬのは心残りです」とおっしゃるのに、たいそう愛らしい様子ばかりが募るので、〔夕霧は〕こまやかに笑って、
「近くにいてこそご覧にならないでしょうが、よそではどうして〔私のことを〕お聞きにならないことがありましょうか。それにしても、〔前世の〕契りの深い瀬をお知らせしようというお心のようです。急に続くはずの冥途への急ぎは、さぞ前世で約束し合ったのでしょう」と、たいそうそっけなく言って、あれこれと慰め取り繕い申し上げ慰めなさると、〔雲居雁は〕たいそう若々しく心美しく、可愛らしい情け深さもお持ちの人なので、〔それが夕霧の〕いい加減な言葉とはご覧になりながらも、自然と和んでいらっしゃるのを、たいそう愛しくお思いになるものの、心は上の空で、
「あの人〔落葉の宮〕も、たいそう自分の心を立てて、強く重々しい人の気配にはお見えにならないけれど、もしやはり本意でないことで、尼になどお考えになりなさったら、困ったことにもなりそうだな」と思うと、しばらくも放っておけない気がして、あわただしい心地がして、日が暮れていくにつれ、「今日も〔宮からの〕お返事さえないな」とお思いになって、心にかかりながら、たいそう物思いに沈んでおられる。
昨日今日まったく来なかったものが、少し来るなどしておられる。
「昔から、あなたのために志が疎かでなかった様子は、大臣がつらくおもてなしになるにつけて、世間では愚かな噂の名を取りましたが、堪えがたいことを我慢して、あちこちで、進んで気色ばんだ辺りの噂を数多く聞き流してきた様子は、女でさえそうではあるまいと、人も非難しました。今思っても、どうしてそうであったのだろうと、自分の心ながら、昔でさえ〔恋心が〕重かったと思い知らされるのに、今は、このように憎みなさっても、お捨てになるはずのない人々が、たいそう所狭いほど数に加わるようなので、あなたのお心ひとつで離れ去ることはなさそうです。また、まあご覧なさい。命こそ定めのない世の中なのですから」と言って、お泣きになることもある。女君も、昔のことを思い出しなさるにつけ、
「しみじみと得がたかったお二人の仲は、やはり契りが深かったのだなあ」と、〔雲居雁は〕思い出していらっしゃる。〔夕霧は〕しなやかな御衣の数々をお脱ぎになって、特別なものを取り重ねて香を焚きしめなさり、立派に身繕いし化粧してお出になるのを、灯の影に〔雲居雁が〕見送って、堪えがたく涙が出てくるので、〔夕霧が〕脱ぎ留めなさった単衣の袖を引き寄せなさって、慣れ親しんだ身を恨むよりは、松島の海人の衣に裁ち替えてしまいたい。やはり現実の人としては、〔このまま〕過ごすことはできないのだった」
と、独り言におっしゃるのを、〔夕霧は〕立ち止まって、「なんとも心憂いお心ですね。松島の海人の濡衣が馴れないからといって、脱ぎ替えると噂を立てることがありましょうか、いや、ありません。〔夕霧は〕急いで〔出て行きながら、雲居雁の〕たいそう素直なさまであることよ。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第39冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。