第39帖 夕霧 / 第7場面
律師の漏らした秘密
あらすじ・人物・読み方
病に伏す御息所のもとで修法を行う律師が、今朝西の妻戸から出た夕霧を見た法師たちの噂を漏らし、夕霧が夜泊まりしたのではないかと語る。御息所は否定しながらも心を乱し、小少将の君を呼んで事情を聞き、軽々しい噂が立つことを深く嘆く。
下の同じ枠で原文・発音の読み・現代語を一節ずつ確認できます。どの読み方から始めても読了を記録できます。
表示と音声の設定
現代語で読む
物の怪に患っていらっしゃる人〔御息所〕は、重そうに見えるが、すっきりなさる時もあって、意識がおありになる。日中の加持が終わって、阿闍梨一人が残り、なお陀羅尼をお読みになる。〔御息所のご容体が〕よろしくていらっしゃるのを喜んで、
「大日如来が虚言をなさらないのなら。どうして、このように私が心を尽くして奉る修法に、験のないことがあろうか。悪霊は執念深いようだが、業障にまとわれているはかないものだ」
と、声を枯らして怒っていらっしゃる。たいそう聖らしく、きびきびした律師で、ふいに、
「それそれ。この大将は、いつからここへ通っていらっしゃるのか」
とお尋ね申し上げなさる。御息所は、
「そのようなことはございません。亡くなった大納言とたいそうよい仲でしたので、〔大将が〕交際なさったお心に背くまいと、ここ数年、しかるべきことにつけて、たいそう不思議なほどお付き合いなさるのも、このようにたまたま、〔私が〕患っているのを見舞いにとおっしゃって、お立ち寄りになったので、恐れ多く承っておりました」
と申し上げなさる。
「いや、とんでもない。私に隠さねばならないことでもない。今朝、後夜〔の勤行〕に参上したところ、西の妻戸からたいそう端正な男が出ていらっしゃるのを、霧が深くて、私は見分けることができなかったのを、この法師たちが、『大将殿が出ていらっしゃるところだった』と、『昨夜も御車を返してお泊まりになった』と、口々に申していた。
なるほど、たいそう香ばしい香りが満ちて、頭が痛いほどだったので、なるほどそうだったのかと、思い合わせておりました。いつもたいそう香ばしくていらっしゃるお方だ。このことは、たいそう切実なことでもない。〔大将という〕人はたいそう有職でいらっしゃる。
私たちも、〔大将が〕童でいらした時から、あの方のためのことは、修法をせよと、亡き大宮がお命じになっていたので、一筋にしかるべきことを、今も承っているところだが、たいそう益がない。本妻が強くていらっしゃる。その上、時運に合った一族で、たいそう高貴である。若君たちは、七、八人におなりになった。
皇女の君を押しのけなさることはできまい。また、女人として悪しい身を受け、長夜の闇に迷うのは、ただこのような罪によるのだ、そのようなひどい報いをも受けるものだ。〔ある〕人のお怒りが出てきたら、長く足かせになるだろう。〔宮の婿にとは〕もはや引き受けまい」
と、頭を振って、ただ言い放ち続けるので、
「たいそう不思議なことです。まったくそのような様子にもお見えにならない人です。万事気分が惑っていたので、少し休んで対面しようと、しばらく立ち止まっていらしたと、ここにいる女房たちが言ったのを、そのようにお泊まりになったのだろうか。だいたい、たいそう真面目に、まっすぐにしていらっしゃる人を」
と、はっきりしない様子でいらしながら、心の内では、
「そのようなこともあったのだろうか。ただごとでないご様子は、折々見えるけれど、人のご様子がたいそう才気走って、強いて人の非難を受けるようなことは避けて捨て、きちんとしていらっしゃるので、たやすく心をお許しになることはあるまいと、安心していたのだった。人少なでいらっしゃる様子を見て、忍び入ったりなさったのだろうか」とお思いになる。
律師が立ち去った後に、小少将の君をお召しになって、
「このようなことを聞いた。どういうことだったのか。どうしておまえには、そのように、こんなふうにとはお聞かせにならなかったのか。それほどでもあるまいと思いながらも」
とおっしゃると、気の毒だが、初めからあった様子を、詳しく申し上げる。今朝のお手紙の様子、宮もほのかにおっしゃわせた様子などを申し上げ、
「長年、忍び通っていらした心の内を、〔大将が宮に〕申し上げて知らせようとばかり〔のご訪問〕だったのでしょうか。めったにないほど用意があって、夜を明かしきることもなく出ていらしたのを、人はどう申し上げるのでしょうか」。
〔少将は〕律師のこととは思いもよらず、ひそかに人が申し上げたのだと思う。〔御息所は〕何もおっしゃらず、たいそう憂く口惜しくお思いになると、涙がほろほろとこぼれなさった。〔それを〕拝見するのも、たいそう気の毒で、「どうして、ありのままに申し上げてしまったのだろう。苦しいご気分を、ますますお乱しになるだろう」と悔しく思っていた。
「障子は鎖してありました」と、万事よろしいように申し上げて取りなすけれど、
「どうにもこうにも、それほどまでに、何の用意もなく、軽々しく人に見られなさったことが、たいそうつらい。内々のご心が清くいらしても、ここまで言った法師たちや、よくない童などは、まさか言い残しはしまいか。人に対して、どう言い争い、そんなことはないと言うべきなのだろうか。すべて、心幼い者ばかりが、ここに仕えていて」
とも、〔言葉を〕おっしゃりきれない。たいそう苦しそうなご気分で、物思いに驚いていらっしゃるので、たいそう気の毒そうである。気高くお振る舞い申し上げようと思っていたのに、世間騒がしく、軽々しい評判がお立ちになるだろうことを、並々ならずお嘆きになる。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第39冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。