第40帖 御法 / 第10場面
源氏の述懐と弔問
あらすじ・人物・読み方
紫の上を失った源氏は、寝ても起きても涙の乾く間もなく、霧に包まれるように日々を明かし暮らす。幼いころから無常を知らされながら心強く生きてきた半生を振り返り、今は後顧の憂いもないはずなのに悲しみに心惑う自分を、阿弥陀仏を念じて忘れさせてほしいと祈る。帝をはじめ各所からの弔問は絶えないが、世間の目を気にして出家の思いを抑える嘆きがさらに加わる。
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現代語で読む
〔源氏は〕寝ても起きても涙の乾く時がなく、霧が立ちこめるように〔悲しみに閉ざされて〕日々を明かし暮らしていらっしゃる。昔からご自身の身の上をお思い続けになると、
「鏡に映る姿をはじめ、人とは違っていた身でありながら、幼いころから、悲しく無常な世を思い知るようにと仏などがお勧めになった身を、心強く生き過ごして、ついに過去にも未来にも例がないと思われる悲しさを見てしまったことよ。今は、この世に心残りなことは何もなくなった。ひたすら仏道修行に向かおうとするのに、妨げになる所はないはずなのに、こんなにも収めようのない心の迷いでは、願う道にも入りにくいことよ」
と、〔悲しみが〕いよいよつのるのを、
「この思いを少しでも軽くして、忘れさせてください」
と、阿弥陀仏をお念じ申し上げなさる。
各所からのお弔問は、内裏〔帝〕をはじめ申し上げて、通例の作法だけではなく、とても頻繁にお寄せになる。〔源氏が〕お思いになっている心の内では、もう何事も目にも耳にも留まらず、心にかかることはないはずだけれど、「人にぼんやりした様子に見られてはならない。今さら自分の晩年になって、みっともなく心弱い迷いのために世の中を背いたのだ」と、後々まで残る評判をお気になさるので、身を心のままにできない嘆きまでも加わっていらっしゃった。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第40冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。