第40帖 御法 / 第8場面
剃髪の願いと御骸
あらすじ・人物・読み方
取り乱す人々の中で、源氏は夕霧を御几帳のもとに呼び寄せ、長年の本意である剃髪を僧に伝えるよう頼む。夕霧は物の怪の仕業かもしれぬと諫め、亡き後の剃髪は悲しみを増すだけだと引き止める。やがて夕霧は几帳の帷を引き上げて御骸をのぞき、生前と変わらぬ美しさに心惑うほど悲しみ、源氏は気持ちを静めて最期の事どもを行う。
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現代語で読む
〔場を〕取り仕切ることのできる人はおられなかった。侍る女房なども、いる限りの者が、まったく正気を失っていた。院〔源氏〕は、まして気持ちを静めるすべもなく、大将の君〔夕霧〕が近くに参っているのを、御几帳のもとに呼び寄せ申し上げなさって、
「このように今は最期の様子であるのに、長年本意として思い続けてきたことを、この際になって、その思いが外れて終わってしまうのがとても残念だ。御加持に侍る大徳たちや読経の僧なども、皆声をやめて出て行ってしまったというが、それでも、立ち止まって〔剃髪を〕してくれる者もいるだろう。この世では空しい心地がするが、仏の御利益を、今はあの暗い〔死出の〕道の弔いにだけでも頼み申すべきだから、頭を剃るべき旨を〔僧に〕伝えてくれ。ふさわしい僧は、誰か残っているか」
などとおっしゃるご様子は、気強く振る舞おうとなさるようだが、お顔の色も常とは違う様子で、ひどく堪えきれず、お涙の止まらないのを、〔夕霧は〕もっともなことと悲しく拝見なさる。
「御物の怪などが、これも、人のお心を乱そうとして、このようにばかりしているようですが、〔お亡くなりなどという〕ことがあろうはずがありません。それならば、いずれにしても、御本意〔出家〕のことは、よいことでございます。一日一夜慎むことの効験こそ、空しくはないでしょう。本当に亡くなり果てなさった後で、後のお髪だけを剃らせなさっても、特別にあの世の御光ともおなりにはならないでしょうに、目の前の悲しみばかりが増すようで、どうしたものでしょう」
と申し上げなさって、御忌に籠もって侍るべき志があって退出しなかった僧を、その人この人と召して、ふさわしい事々を、この君〔夕霧〕が行いなさる。
長年、あれこれと、大それた心はなかったけれど、「どのような世に〔生まれ変わっても〕、在りし日の姿だけでも拝見したい。ほのかにもお声さえ聞けないこと」などと、心から離れず思い続けてきたものを、「お声はとうとうお聞かせいただけないことになってしまったらしいが、空しい御骸でも、もう一度拝見したいという志が叶うべき折は、ただ今をおいてほかにどうしてあろうか」と思うと、包み隠しもできず泣けてきて、女房が、いる限り騒ぎ惑うのを、
「静かに、しばらく〔待て〕」
と、静める顔で、御几帳の帷を、物をおっしゃる紛れに引き上げてご覧になると、ほのぼのと明けてゆく光も頼りないので、大殿油を近く掲げて拝見なさると、見飽きることなく美しく、愛らしく清らかに見えるお顔のもったいなさに、この君〔夕霧〕がこのようにのぞきなさるのを見ながらも、無理に隠そうというお気持ちも〔源氏には〕おありでないようである。
「このように何事もまだ変わらない様子ながら、最期の様子ははっきりしていたのだな」
と言って、〔源氏が〕お袖を顔に押し当てていらっしゃる間に、大将の君も、涙に暮れて、目も見えなさらないのを、無理に絞り開けて拝見すると、かえって見飽きることなく悲しいこと比べようもなく、本当に心も惑ってしまいそうである。お髪がただ打ちやられている様子は、華やかで美しく、露ほどに乱れた様子もなく、つやつやと美しい様子は限りがない。
灯がとても明るい中で、お顔の色はとても白く光るようで、あれこれ紛らわすことも、生前のおもてなしのときよりも、言っても甲斐ない様子で、何の心もなくお臥しになっているお姿に、見飽きる所がないと言うのも言うまでもない。並一通りどころか、比べようもない〔美しさ〕を拝見すると、「死に入る魂が、そのままこの御骸にとどまるだろう」と思われるのも、無理からぬことである。
お仕え申し上げて馴れた女房たちに、正気の者もいないので、院〔源氏〕こそが、何事もお考え分けになれずにいらっしゃるお気持ちを、無理に静めなさって、最期の御事どもをなさる。昔も、悲しいとお思いになることを数多くご覧になったお身であるけれど、これほどひどく取り乱してはまだお知りでなかったことを、すべて来し方行く先を通じて、比べようもない心地がなさる。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第40冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。