第42帖 匂兵部卿 / 第7場面
姫宮への思いと六の君
あらすじ・人物・読み方
匂宮は朱雀院の姫宮(女二の宮)への思いを募らせるが、院は姫宮を手放そうとしない。右の大臣は娘たちへの思いを抱え、典侍腹の六の君が殊に優れた姫君として語られる。
下の同じ枠で原文・発音の読み・現代語を一節ずつ確認できます。どの読み方から始めても読了を記録できます。
表示と音声の設定
現代語で読む
三の宮〔匂宮〕が、年とともに心を砕いていらっしゃるらしい、院の姫宮〔女二の宮〕の御辺りを見るにも、一つの院のうちに、朝夕立ち馴れておいでなので、何かにつけても、人のありさまを聞き見申し上げるのに、「まことに、たいそう並々でない。心憎くゆかしい御もてなしが限りないのを、同じことなら、まことにこのような人を見るのにこそ、生きている限りの心ゆくはずのきっかけである」と思いながら、大方は隔てることなくお思いになっていたけれど、姫宮の御方ざまの隔ては、この上なく気遠く慣らさせなさるのも、道理で煩わしいので、強いても交わり寄らない。「もし、心の外の心を持つならば、私も人もたいそう悪いことになるだろう」と思い知って、物馴れて寄ることもなかった。
御自分が、このように、人に賞美されるようになられたありさまであるので、はかなく投げ遣りな言葉をお散らしになる辺りも、この上なく持て離れる心なく、靡きやすいほどに、自然とぞんざいな通い所も数多くなるのを、人のために、大げさになどもてなさず、たいそううまく紛らわし、そこはかとなく情けなくないほどの、かえって心苦しいのを、思い寄せた人は、誘われながら、三条の宮に参り集まるのは数多くある。
つれないのを見るのも、苦しそうなことであるらしいけれど、絶えてしまうよりは、心細さに思い侘びて、そうもありそうにない身分の人々が、はかない契りに頼みをかけたのが多かった。やはり、たいそうなつかしく、見所のある人の御様子であるので、見る人は、皆心に量られるようで、見過ごされる。
「宮〔朱雀院〕がおいでになる世の限りは、朝夕に御目を離れず御覧になられ、拝見することさえ」と思いおっしゃると、右の大臣〔夕霧〕も、数多くおいでの御女たちを、一人一人は、とお心ざしながら、言い出しかねなさる。「やはり、物足りない仲らいであるのを」とは思いなさるけれど、「この君たちを置いて、他には、比べるべき人を求め出すはずの世であろうか」とお思い煩う。
高貴な方よりも、典侍腹の六の君とか、たいそう優れてをかしげに、心ばえなども備わってお育ちになるのを、世の評判の落としめ様であるはずなのに、このように惜しいのを、心苦しくお思いになって、一条の宮が、そのような世話の種をお持ちでなくて物寂しいので、迎え取って差し上げなさった。
「わざわざではなくて、この人々に見せ始めたら、必ず心を留めなさるだろう。人のありさまをも知る人は、とりわけそうであるはずだ」などお思いになって、たいそう厳しくはもてなさならず、今風にをかしいように、物好みをさせて、人の心を付けさせる便りを多く作りなさる。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第42冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。