第51帖 浮舟 / 第3場面
内記の聞き出し
あらすじ・人物・読み方
匂宮は大内記・道定を招いて薫の宇治通いの様子をさりげなく探り、供も連れずに忍んで宇治へ行く決意を固める。
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ご自分の御方においでになって、「不思議なこともあるな。宇治に大将(薫)が通いなさることは、長年絶えないと聞く中にも、忍んで夜泊まりなさる時もある、と人が言ったのを、あまり過ぎた故人の形見として、そうあるはずのない所に旅寝なさるだろうことが、
と思っていたのは、こういう人を隠し置きなさっているのだろう」とお思い当たることもあって、お手紙のことでお使いになる大内記という人の、あの殿に親しい伝手があるのをお思い出して、御前に召す。参った。
「韻塞をするのに、詩集どもを選び出して、こちらにある厨子に積むこと」などとおっしゃらせて、「右大将の宇治へ行かれることは、まだ絶え果てないのか。寺を、たいそう見事に造ったそうだ。どうして見られるだろう」
とおっしゃると、「寺はたいそう見事に、厳かに造られて、不断の三昧堂など、たいそう尊く設けられている、と聞いております。通いなさることは、去年の秋頃よりは、前よりも、しばしばおいでになります。
下の人々が忍んで申したのは、『女を隠し据えさせなさっている、悪くなくお思いになる人だろう。あの辺りで領有なさる所々の人は、皆お命じによって参ってお仕えする。
宿直に差し向けるなどしながら、京からもたいそう忍んで、しかるべきことなどを問いなさる。どんな幸せな人が、さすがに心細くしていらっしゃるのだろう』と、ちょうどこの師走の頃に申します、と聞きました」
と申し上げる。「たいそう嬉しくも聞いたな」とお思いになって、「確かにその人とは、言わないのか。あちらにもとからいる尼を、お訪ねになると聞いた」
「尼は、廊に住んでおります。この人は、今建てられた所に、見苦しくない女房なども大勢いて、不足のない様子でいらっしゃいます」
と申し上げる。「面白いことだな。何の心があって、どんな人を、ああして据えなさったのだろう。やはり、たいそう風情があって、並の人に似ないご心だな。
右の大臣などが、『この人があまりに道心に進んで、山寺に、夜までもすれば泊まりなさるそうだ、軽々しい』と非難なさると聞いたが、なるほど、どうしてそんなに仏の道に忍んでおいでなのだろう。
やはり、あの故里に心を留めたと聞いたが、こういうことこそあったのだ。どこから見ても、人より真面目だと賢しがる人こそ、特に人の思いも寄らない隈のある構えだよ」
とおっしゃって、たいそう面白く思っていらっしゃる。この人は、あの殿にたいそう親しくお仕えする家司の婿であったので、お隠しになることも聞いているのだろう。
ご心のうちでは、「どうやって、この人を、見た人かどうか見定めよう。あの君が、それほどにして据えたのは、並のよい人ではあるまい。この辺りでは、どうして疎かではあるまい。心を通わせてお隠しになったのも、たいそうねたましい」と思われる。
ただそのことを、この頃はお思い詰めていらっしゃる。賭弓、内宴などが過ぎて、心がのどかな時に、司召などと言って、人の心を尽くさせる方面は、何ともお思いにならないので、宇治へ忍んでおいでになることだけをお考え巡らす。
この内記は、望むことがあって、夜昼、どうにかご心に入ろうと思う頃、いつもより懐かしく召し使いになって、「たいそう難しいことでも、私の言うことは、図ってくれないか」
などとおっしゃる。畏まって控えている。「たいそう不都合なことだが、あの宇治に住んでいるらしい人は、以前ほのかに見た人で、行方も知れなくなったのが、大将に尋ね取られたのだ、と聞き合わせることがある。
確かに知る手立てもないので、ただ、物越しに覗くなどして、それかどうかと見定めよう、と思う。少しも人に知られない構えは、どうすべきか」
とおっしゃると、「ああ、煩わしい」と思うが、「おいでになることは、たいそう荒い山越えではございますが、特にほど遠くはございません。
夕方にお出発おいでになって、亥子の時にはお着きになるでしょう。さて、暁にこそお帰りになるでしょう。人が知るようなことは、ただ御供に控えておりますだけです。それも、深い心はどうして知りましょう」
と申す。「賢いな。昔も、一度二度、通った道だ。軽々しい非難を負うべきなのが、世間の聞こえの憚りなのだ」と言って、繰り返しあるまじきことに、ご自分の心にもお思いになるが、ここまで打ち明けなさったからには、思い止まることがおできにならない。
御供に、昔もあちらの案内を知っていた者、二人、三人、この内記、それから御乳母子の蔵人より官位を得た若い人、親しい限りを選びなさって、「大将は、今日明日は世においででない」など、
内記によく案内を聞きなさって、ご出発になるにつけても、昔をお思い出しになる。「不思議なまで心を合わせて連れ歩いた人のために、後ろめたいことでもあるな」と、お思い出すこともさまざまである上に、京のうちでさえ、まったく人知れずのお歩きは、そうはいっても、
おできにならないお身でありながら、不審な様子のやつれ姿をして、お馬でおいでになる心地も、何か恐ろしく不安だけれど、物のゆかしい方面は進んだご心なので、山が深くなるままに、
「いつか、どうなることか、見定めることもなくて帰るのは、物足りなく不思議なことだろう」とお思いになると、心も騒ぎなさる。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第51冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。