第51帖 浮舟 / 第2場面
宇治からの文
あらすじ・人物・読み方
睦月の末、中の君の女房・大輔のもとへ宇治の浮舟から山橘を添えた文が届き、匂宮はそれを奪うように読んで、添えられた歌に心を動かされる。
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睦月の一日を過ぎた頃にお渡りになって、若君のお年が増したのを、遊ばせ可愛がられる昼頃、小さな童が、緑の薄様の包み文の大きなのに、小さな鬚籠を小松に付けたのを、
また、まっすぐな立文を取り添えて、奥まで走り参る。女君に差し上げると、宮は、「それは、どこからか」とおっしゃる。「宇治から大輔のおとどへと、持つのに苦労しておりましたのを、いつものように、御前でご覧になるだろうと、取っておきました」
と言うのも、たいそう慌ただしい様子で、「この籠は、金で作って彩色した籠でした。松もたいそうよく似せて作った枝ですよ」と、笑って言い続けると、宮もお笑いになって、
「では、私ももてはやそう」とお取りになるのを、女君は、たいそう傍らにいて痛々しくお思いになって、「文は、大輔のもとへやっておくれ」とおっしゃる。お顔が赤くなったので、宮は、「大将(薫)がさりげなくした文だろうか、宇治の名乗りもふさわしい」とお思い寄って、この文をお取りになった。
さすがに、「それであろう時に」とお思いになるにつけ、たいそうまばゆいので、「開けて見ようよ。恨まれやしないだろう」とおっしゃると、「見苦しい。どうして、その女同士の間で書き通わした打ち解けた文を、ご覧になるのですか」
とおっしゃるが、騒がない様子なので、「では、見ようよ。女の文書きは、どんなものか」と言ってお開けになると、たいそう若々しい手で、「気がかりで、年も暮れてしまいました。山里のうっとうしさは、峰の霞も絶え間なくて」
と書いて、端に、「これも若宮の御前へ。粗末でございますけれど」と書いてある。特に上手な節も見えないが、覚えのない、目をお留めになって、この立文をご覧になると、なるほど女の手で、
「年が改まって、何事かございます。ご私事でも、どれほど楽しいお喜びが多くございましょう。こちらでは、たいそうめでたいお住まいの心深さを、やはり、ふさわしくなく拝見します。
このようにばかり、つくづくと眺めていらっしゃるよりは、時々はお渡り申し上げになって、お心も慰められよ、と思いますが、はばかられ恐ろしいものとお取りになって、
つらいことにお嘆きのようです。若宮の御前へと、卯槌を差し上げなさいます。大き御前(帝)がご覧にならないうちに、ご覧に入れなさい、と申して」
と、細々と言忌みもできず、嘆かしげな様子のみっともないのも、繰り返し繰り返し、不思議とご覧になって、「今は、おっしゃいなさい。誰のか」
とおっしゃると、「昔、あの山里にいた人の娘で、そのような事情があって、この頃あちらにいると聞いておりました」と申し上げると、並一通りにお仕えしているとは見えない文書きをお心得になって、あの煩わしいことのある方(浮舟)にお思い合わせた。
卯槌が趣向を凝らし、つれづれだった人の仕業と見えた。また、山橘を作って、貫き添えた枝に、
まだ古びてはいないものですが、あなたのために、深い心を込めてお待ちしていると知ってください。と、格別のこともないのを、「あの思い続けている人のだろうか」とお思い寄ったところ、目が留まって、
「返事をなさい。情けない。お隠しなさるほどの文でもなさそうなのに。どうして、ご様子が悪いのです。帰りますよ」と言って、お立ちになった。女君は、少将などを通じて、
「気の毒なこともあったな。幼い人が取り持ったのを、人はどうして見なかったのか」などと、ひそかにおっしゃる。「ご覧になっていたら、どうして、差し上げましょうか。まったく、この子は気分次第で出しゃばり過ぎております。
成長した先が見えて、人は、おっとりしているのがよいものです」などと憎むと、「静かに。幼い人に、腹を立ててはいけません」とおっしゃる。去年の冬、人が差し上げた童で、顔がたいそう可愛かったので、宮もたいそう可愛がっていらっしゃるのだった。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第51冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。