ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第52帖 蜻蛉 / 第18場面

蜻蛉の独詠

あらすじ・人物・読み方

薫は姫宮のあたりや宮の君の様子に亡き人々の面影を求め、夕暮に蜻蛉の歌を独り詠む。

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東の高欄に押しかかって、夕影になるままに、花の紐解く御前の草むらを見渡しなさる。物ばかりあはれであるのに、「中に就いて腸断ゆるは秋の天」ということを、ひどく忍びやかに誦じつつおいでだった。あった衣の音ない、著い気配して、母屋の御障子から通って、あなたに入るのだ。宮が歩みいらっしゃって、

「これよりあなたに参ったのは誰か」

とお問いになると、

「あの御方の中将の君」

と申し上げるのだ。

「なお、不思議な業だ。誰かと、かりそめにもうち思う人に、すぐにこのように行かしげなく聞こえる名指しよ」と、痛々しく、この宮には、皆目慣れてばかりお思い申し上げるべく見えるのも口惜しい。

「下り立って強ちなお持て成しに、女はそうもこそ負け申し上げるだろう。我が、そうも口惜しく、この御縁には、妬く心憂くばかりあるなあ。どうして、このあたりにも、珍しいだろう人の、例の心を入れて騷ぎなさるのを語らい取って、我が思った様に、安からずとだけでも思わせ申し上げよう。本当に心映えある人は、我が方にぞ寄るべきだ。それでも難しいものだなあ。人の心は」

と思うのに付けて、対の御方が、あの御有様をば、相応しくない物に思い申し上げて、ひどく便ない睦びになってゆくのが、大方のおぼえをば、苦しいと思いながら、なお差し放ち難い物に思い知っていたのが、有り難くあはれだった。

「そのような心映えある人、ここらの中にいるだろうか。入り立って深く見なければ知らないのだよ。寝覚めがちにつれづれなのを、少しは好きも習いたいものだ」

など思うのに、今はなお似つかわしくない。

例の、西の渡殿を、あったのに倣って、わざとおいでだったのも不思議だ。姫宮は、夜はあなたにお渡りになったので、人々が月見るとて、この渡殿にうち解けて物語するほどだった。箏の琴をひどく懐かしく弾きすさむ爪音、風情があって聞こえる。思いかけないのに寄りいらっしゃって、

「どうして、このように妬ましい顔に掻き鳴らしなさるのですか」

と仰るのに、皆驚かるべきだけれど、少し上げていた簾をうち下ろしなどもせず、起き上がって、

「似るべき兄は、いらっしゃるべきか」

と応える声、中将の御許とか言っていたのだった。

「我こそ、御母方のおじである」

と、儚いことを仰って、

「例の、あなたにいらっしゃるべき見えますね。何の業をか、この御里住みのほどにせさせなさるのですか」

など、味気なくお問いになる。

「どこにても、何事をか。ただ、このようにてこそお過ごしなさるようです」

と言うのに、「風情がある御身のほどよ、と思うのに、すずろな嘆きの、うち忘れてしていたのも、不思議と思い寄る人もこそ」と紛らわしに、差し出していた和琴を、ただそのまま掻き鳴らしなさる。律の調べは、不思議に折に合うと聞く声なので、聞きにくくもないけれど、弾き果てなさらないのを、なかなかであると、心を入れていた人が、消え返り思う。

「我が母宮も劣りなさるべき人か。后腹と申し上げるばかりの隔てこそあれ、帝々が思いかしずいた様子、異事でなかったのを。なお、この御あたりは、ひどく格別だったこそ不思議だ。明石の浦は心憎かった所だなあ」など思い続ける事どもに、「我が宿世は、ひどくやんごとなし。まして、並べて持ち申し上げたら」と思うのが、ひどく難しいよ。

宮の君は、この西の対にぞ御方していた。若い人々の気配が数多して、月をめであっていた。

「いや、あはれ、これもまた同じ人だよ」

と思い出で申し上げて、「親王が、昔心を寄せなさった物を」と言いなして、そなたへおいでになった。童が、風情がある宿直姿で、二、三人出て歩きなどしていた。見つけて入る様ども、赫かしい。これぞ世の常と思う。

南面の隅の間に寄って、うち声作りなさると、少し大人びた人が出て来た。

「人知れぬ心寄せなど申し上げさせましては、なかなか、皆人申し上げさせ古しそうなことを、ういういしい様子で、真似ぶようになります。真面目に、言葉より他のを求められます」

と仰ると、君にも言い伝えず、賢しだって、

「ひどく思いかけなかった御有様に付けても、故宮が思い申し上げさせなさっていた事など、思い出されて。かくのみ、折々申し上げさせなさるのです。御後言をも、喜び申し上げなさるようです」

と言う。

「並々の人めきして、心地なの様子よ」と物憂いので、

「もとより思い捨てまじき筋よりも、今はまして、そうあるべき事に付けても、思い尋ねるのが嬉しいべきだ。疎々しく人伝てなどに持て成させなさると、できません」

と仰るのに、「げに」と、思い騷いで、君を引き揺るがすようだと、

「松も昔のとばかり、眺められるのにも、もとよりなど仰る筋は、真面目に頼もしくこそは」

と、人伝てともなく言いなしなさった声、ひどく若やかに愛敬づき、優しいところが添っていた。「ただ並べてのこのような住処の人と思えば、ひどく風情があるべきなのを、ただ今は、どうしてこれほども、人に声を聞かせるべき物と慣れなさったのだろう」と、生後ろめたし。「容貌もひどく艶やかだろうよ」と、見たい気配がしていたのを、「この人ぞ、また例の、あの御心乱るべき端である、と風情にも、有り難い世よ」と思いなさっていた。

「これこそは、限りない人がかしずき生い育てし申し上げた姫君。また、これほどぞ多くはあるべき。不思議だったことは、その聖の御あたりに、山の懐から出て来た人々が、片端なのはなかったこそ。この、儚いよ、軽々しいよ、など思いなす人も、このような内を見る様子は、ひどくこそ風情があった」

と、何事に付けても、ただあの一つの縁をぞ思い出でなさっていた。不思議に、辛かった契りどもを、つくづくと思い続け眺めなさる夕暮、蜻蛉が物儚げに飛び違うのを、

あると見て手には取れず、見ればまた行方も知らず消えた蜻蛉よ。

あるか、ないかの」

と、例の、独りごちます、ととか。

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底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第52冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。