ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第52帖 蜻蛉 / 第4場面

母君への打ち明け

あらすじ・人物・読み方

雨の紛れに母君が渡ってくる。侍従と右近は浮舟が川に身を投げたと見せかけるまでの経緯を打ち明け、骸なきまま葬る相談をする。

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蜻蛉・第4場面0 / 25
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雨のひどかった紛れに、母君もお渡りになった。さらに言いようもなく、

「目の前で亡くした悲しさは、ひどいとも、世の常で、類があることだ。これは、どのようにしたことなのか」

と惑う。このような事どもの紛れがあって、ひどく物思いなさるだろうとも知らないので、身をお投げになったろうとも思いも寄らず、

「鬼が食ったのだろうか。狐めいた物が取り持って去ったのだろうか。ひどく昔物語の不思議な物どものことの例にか、そのようなことも言っていた」

と思い出す。

「それでは、あの恐ろしいと思い申し上げるあたりに、心など悪い御乳母のような者が、このようにお迎えなさるだろうと聞いて、目覚ましがって、謀った人もいるのだろうか」

と、下臈などを疑い、

「今参りの、心知らないのはあるか」

と問うと、

「ひどく世離れしているといって、あり慣れない人は、ここでは儚いこともできず、今すぐ参ろう、と言って、皆、その急ぐべき物どもなど取り具しつつ、帰り出てしまいました」

と言って、もとからある人さえ、片方はなくて、ひどく人少なな折であった。

侍従などこそ、日ごろの御様子を思い出して、「身を失ってしまいたい」など、泣き入りなさっていた折々の有様、書き置きなさった文も見るのに、「亡き影に」と書きすさびなさった物が、硯の下にあったのを見つけて、川の方を見やりつつ、響きの罵る水の音を聞くのにも、疎ましく悲しいと思いつつ、

「それに、亡くなりなさった人を、とかく言い騷いで、どこにもどこにも、どのような方におなりになったのか、とお疑いになるのも、痛々しいことだ」

と言い合わせて、

「忍びたる事とても、御心から起こってあったことではない。親として、亡き後に聞きなさったとしても、ひどく優しいほどではないのを、ありのままに申し上げて、このようにひどく心もとなき事どもさえ、方々思い惑いなさる様子は、少し明らかめさせ申し上げよう。お亡くなりになった人とても、骸を置いて持て扱うこそ、世の常であるのに、世離れした様子で日ごろも経てば、さらに隠れはない。なお、申し上げて、今は世の聞こえをさえ繕おう」

と語らって、忍んであった様子を申し上げるのに、言う人も消え入り、言いやらず、聞く心地も惑いつつ、「それでは、このひどく荒々しいと思う川に、流れ亡くなりなさった」と思うのに、ますます我も落ち入りそうな心地して、

「いらっしゃった方を尋ねて、骸をだけでもはかばかしく納めよう」

と仰るけれど、

「さらになんの甲斐もありません。行方も知らない大海の原にこそいらっしゃったのでしょう。そのような物から、人の言い伝えることは、ひどく聞きにくいです」

と申し上げると、とざまこうざまに思うのに、胸の塞き上る心地して、どうにもどうにもすべき方も思いなさらないのを、この人々二人で、車を寄せさせて、御座ども、気近くお使いになった御調度ども、皆ながら脱ぎ置きなさった御衾などのような物を取り入れて、乳母子の大徳、それが叔父の阿闍梨、その弟子の睦ましいなど、もとから知っている老法師など、御忌に籠もるべき限りして、人の亡くなった様子に真似て、出だし立てるのを、乳母、母君は、ひどく悲しく忌々しいと臥し転ぶ。

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底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第52冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。