野宮 / 第6場面
花車と車争いの回想
あらすじ・人物・読み方
月下に花車に乗った後ジテが現れ、加茂祭の車争いで葵上の一行に小車を押しやられた屈辱をクセに語る。終曲では妄執を晴らすよう僧に求め、車に乗って火宅の門を出る姿が示される。
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後ジテ「野の宮の、秋の千草の花車よ。我も昔に巡って来たことよ。」
ワキ「不思議なこと、月の光もかすかな中、車の音の近づく方を見ると、網代の下簾、思いもかけない有様です。いかにも今は疑う所もなく、御息所でいらっしゃいますね。それにしても、どのような車でしょうか。」
シテの言葉「どのような車かとお尋ねになれば、思い出されました、その昔、加茂の祭の車争い。主は誰とも白露のように。」ワキ「場所も狭いほど立て並べる。」シテ「物見車のさまざまな様子の中でも、殊に時めく葵の上の。」ワキ「御車だといって人を払い、立ち騒いでいたその中に。」シテ「我が身は小車で、やる方もないと答えて立て置かれました。」ワキ「車の前後に。」シテ「ばっと寄って。」
地「人々は轅に取りついて、人だまりの奥へ押しやられ、物見車の力もない身のほどを思い知らされました。よしや思えば何事も、報いの罪に漏れることはありません。身はなお牛の小車のように巡り巡って来て、いつまでも妄執を晴らしてくださいますよう。」
シテ「昔を思う花の袖よ。」地「月に言葉を返す、その様子であることよ。」シテ「野の宮の月も昔を思っているでしょう。」地「影も寂しく森の下露よ。」シテ「身の置きどころも、ああ昔の。」地「庭の佇まい。」シテ「よそに変わってしまった。」地「様子も仮のもの。」シテ「小柴垣よ。」地「露を払い、訪われた我もその人も、ただ夢の世と古びゆく跡であるのに、誰の松虫の音は鈴のようで、風は茫々と吹く野の宮の一夜よ。懐かしいことです。ここはもとより畏れ多くも、神風の伊勢の内外の鳥居に現れる姿は、生死の道を神はお受けにならないかと思われるでしょう。また車に乗り、火宅の門を出たのでしょうか。火宅の門を。」
底本:謡曲二百番:四流対照 下巻 芳賀矢一訂(金港堂書籍、明治42年)。本文画像:所蔵機関の公開資料。
明治42年(1909)芳賀矢一訂『謡曲二百番:四流対照』下巻(金港堂書籍)所収「野宮」(観世流)の本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像と照合した独自編集本文です。底本の主文(観世流)の字句を残し、他流の異文符は本文に含めていません。発音の読みと独自訳を添えています。