第2帖 帚木 / 第11場面
左馬頭の昔語り、指を噛んだ妻
あらすじ・人物・読み方
左馬頭は、まだ地位が低かったころに連れ添った女性を思い出します。暮らしを支える彼女の嫉妬をやめさせようとした口論が、指を噛まれるけんかに発展します。
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現代語で読む
「昔、まだ私が、たいそう身分の低かった時に、愛しく思う女性がいました。先ほど申し上げたように、容姿なども、まったく申し分ないというわけではなかったので、若いころの浮ついた気持ちからは、この人を、最後の落ち着き先と決める気にもならず、頼りになる相手とは思いながら、物足りなくて、あれこれと、よそで遊び歩いていました。
〔妻が〕ひどく、やきもちを焼きましたので、気に入らなくて、こんなふうでなく、おおらかだったならと思う一方で、あまりに、容赦なく疑うのも、わずらわしく、こんな、取るに足らない私を、見放すこともせず、なぜ逆に、こんなに思ってくれるのかと、気の毒になる時もあり、自然と、自分の心も、落ち着くようになったものでした。
この女性の様子は、もともと、自分が思い至らなかったことでも、何とか、この人のためにはと、持っていなかった力を引き出し、不得意な方面の心配りにも、それでも、見劣りするようには見られまいと励んで、何につけても、実直に私の暮らしを支えながら、少しでも私の気に逆らうことがないように、と願っていました。
私には、身のほどより優れた相手だと思いましたが、何かと、私に従うようになり、柔らかくなり、自分のよくない容姿を、この人に嫌われはすまいかと、つらく思いながら、取り繕い、親しくない人に見られたら、私が恥に思うだろうかと、遠慮し、恥じらい、自分を慎むようにして、一緒に暮らし慣れるにつれて、気立ても悪くないと思いましたが、ただ、この憎らしい嫉妬だけは、収まりませんでした。
そのころ、私が思いましたのは、こんなに、ひたすら私に従い、恐れている人のようだ。何とか、懲りるほどのことをして、脅し、この点も、少しよくなり、やかましいのもやめるだろうか、と。本当に嫌になって、縁を切りそうな様子を見せれば、これほど、私に従う気持ちがあるのなら、懲りることだろうと思いまして、わざと、思いやりなく、そっけない態度を見せました。
いつものように、〔妻が〕腹を立て、恨みを言うので、こんなに強情なら、どれほど深い縁があっても、縁を切って、もう会うまい。これで終わりと思うなら、こんな、無理な疑い方をするがよい。この先、長く連れ添うつもりなら、荒っぽいことがあっても、こらえて、穏やかな気持ちになり、こんな嫉妬の心さえなくなれば、本当に愛しく思うだろう。
私も人並みになり、少し年を重ねるにつれ、ほかに並ぶ人もない相手になるだろう、などと、われながら、うまく教え込むものだと思いました。
私が強気にけなし言いましたら、〔妻は〕少し笑って、「何につけても見栄えがせず、ぱっとしないころを我慢して、いつか人並みになる時も来るかと、待つことは、たいそう、気長に構えられ、腹立たしくもありません。けれども、あなたの冷たい心を、こらえて、いつか優しい気持ちになる時を見たいと、年月を重ねる、そんな当てにならない望みは、本当に苦しいでしょうから、互いに、別れた方がよい時なのでしょう」と、しゃくに障るような口ぶりで言うので、
私は腹を立て、憎らしいことを言って、あおりましたところ、女性も、抑えられない性分なので、私の指を一本、引き寄せて、噛んだのです。私は、大げさに嘆き、「こんな傷までついたのだから、宮仕えもできまい。あなたが、侮っていらっしゃるらしい官位も、いっそう、何を手だてに、人並みになれるだろう。出家するよりほかない身の上らしい」などと言って脅し、
「それなら、今日こそ終わりらしいな」と言って、その指を曲げながら、家を出ました。
指を折って、二人で過ごしたことを数えると、あなたのつらいところは、この噛まれた指の一節だけではありません。
「私を恨むことはできまい」などと言いましたら、〔妻は〕それでも、泣いて、
つらいことを一人で数え、耐えてきましたが、これがあなたの手を離れて、別れるべき時なのでしょうか。
などと、言い合いましたが、実際には、関係が変わるようなこととも思わないまま、何日もたつまで、手紙も送らず、家を離れて、ふらふらしていましたところ、
底本:北村季吟『湖月抄』延宝元年刊・国立国会図書館所蔵 本別3-1 [2]。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。