ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第5帖 若紫 / 第13場面

二条院での暮らしの始まり

あらすじ・人物・読み方

突然の移動に乳母も少女も心を乱します。源氏は部屋を整え、少女のために人々を呼びます。

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現代語で読む

〔少納言は〕あまりの突然さに驚き胸も静まらない。宮が何とお思いになりおっしゃるだろうか、どのようなご境遇におなりになるのだろうか、ともかくも頼りとする人々に先立たれなさったことの痛ましさよ、と思うと涙がとどまらないが、そうはいっても、縁起が悪いので、こらえて、座っている。

こちらは普段お住まいにならない対なので、御帳台などもなかったのである。惟光をお呼びになって、御帳台やお屏風などをあちらこちら、しつらえさせなさる。御几帳の帷を引き下ろして、お座所などをただ整えるばかりなので、東の対へお寝具を取りにお遣わしになって、お休みになった。少女はたいそう気味が悪く、どうなるのだろうと自然に震えていらっしゃるが、それでも、声を立てて、泣くことも、おできにならない。「少納言の、

ところで寝ましょう」とおっしゃる声はたいそう幼い。「もうそのようにはお休みになってはいけませんよ」と、〔源氏が〕お教え申し上げになるので、〔少女は〕たいそうつらくて、泣き伏していらっしゃる。乳母は横になることもできず、何も考えられず、泣いて、座っている。

明けてゆくにつれ見渡してみると、建物の造りやしつらえは言うまでもなく、庭の砂も玉を重ねたかのように見えて、輝くような心地がするので、気後れして、座っているが、こちらには女房なども伺候していなかったのである。親しくない客などが参った時の場所だったので、男たちが御簾の外にいたのである。このように人をお迎えになったと聞く人は、「どなただろう。並大抵の人ではなかろう」とささやき合う。

お手水やお粥などをこちらに差し上げる。日が高くなって、お起きになって、「人がいなくて、不便なようですから、しかるべき人々を夕方には迎えさせなさい」と、おっしゃって、対へ童たちを呼びにお遣わしになる。「小さい者ばかりを特に参らせよ」とあったので、たいそう愛らしい姿で四人参った。

少女はお着物にくるまって、伏していらっしゃるのを、〔源氏は〕強いて、起こして、「このようにつれなく、いらっしゃってはいけません。縁もない者がこのようにするでしょうか。女は心が素直なのがよいのです」などと、今から、お教え申し上げなさる。

そのお顔立ちは、離れて見た時よりもたいそう美しく、優しく、親しみ深く、お話しになりながら、面白い絵や遊び道具などを取りに遣わして、お見せ申し上げ気に入りそうなことをいろいろなさる。〔少女は〕ようやく、起き上がって、御覧になる。濃い鈍色の着慣れて柔らかくなったものなどをお召しになり、無心にほほえんだりして、座っていらっしゃるのがたいそう愛らしいので、〔源氏は〕自分も自然と笑みがこぼれて、御覧になる。

〔源氏が〕東の対へお移りになった間に、〔少女が〕外へ出て、庭の木立や池の方などをのぞいて御覧になると、霜枯れした植え込みが絵に描いたように趣深く、見知らぬ四位や五位の者が入り交じって、絶え間なく、出入りして、確かに素晴らしい所だなとお思いになる。お屏風などのたいそう美しい絵を御覧になりながら、気を紛らわせて、いらっしゃるのもいじらしいことである。

源氏は二三日内裏へも参上なさらず、この人を懐かせて、お話し申し上げなさる。そのまま、手本にもとお思いになるのか、手習いや、絵などをさまざまに書いてはお見せ申し上げなさる。たいそう趣深く、書き集めていらっしゃる。「武蔵野」といえば「かこたれぬ」と、紫色の紙にお書きになった墨の付き具合が、

たいそう格別なので、〔少女は〕手に取って御覧になっている。〔源氏の字は〕少し小さくて、その根は見ないけれど、いとおしく思うのです。武蔵野の露を分けて進みあぐねる草のそのゆかりを。とある。「さあ、あなたもお書きなさい」とあるので、「まだうまくは書けません」と言って、見上げていらっしゃるのが、無邪気で愛らしいので、〔源氏は〕ほほえんで、「うまくなくても、全く、書かないのはよくありません。お教え申し上げましょうよ」とおっしゃるので、〔少女が〕少し横を向いて、お書きになる手つきや、筆をお持ちになる様子の幼いのもただかわいらしく、感じられるので、〔源氏は〕自分の心ながら、不思議だとお思いになる。書き損じてしまったと恥じて、お隠しになるのを、〔源氏が〕無理に御覧になると、あなたが、かこつけるはずの理由を知りませんので、はっきりしません。どのような草のゆかりなのでしょう。とたいそう幼いけれど、将来が期待されて、ふっくらとした字でお書きになっている。亡くなった尼君に似ていたのである。今風の手本を習ったならばたいそう上手にお書きになるだろうと御覧になる。

人形などをわざわざ家々も作り並べて、一緒に遊びながら、この上ない物思いの気晴らしである。

あちらに残った人々は宮がおいでになって、お尋ね申し上げなさったのに、申し上げようもなく、困り合っていたのである。しばらくは人に知らせまいと源氏もおっしゃり、少納言もそう思っているので、しきりに口止めを言い遣わして、ただ行方も、

分からず、少納言がお連れして、隠し申し上げたと、ばかり申し上げさせるので、宮もどうしようもなく、お思いになって、亡くなった尼君もあちらへお移りになることを、たいそう不快にお思いになっていたことなので、乳母がたいそう出過ぎた気の持ち方のあまり、「移すのは具合が悪い」などと穏やかに言うこともせず、心のままに連れて、行方をくらましてしまったらしいと、泣きながら、お帰りになった。「もしお居場所を聞き出し申し上げたなら、知らせよ」とおっしゃるのも困ったことで、僧都のおもとにもお尋ね申し上げになるが、手がかりもなく、惜しいほどであったお顔立ちなどが、恋しく、いとおしいとお思いになる。

北の方も母君を憎いとお思い申し上げになっていた心も消えて、自分の思うままにできるだろうとお思いだったのに、それが外れてしまったのは、残念にお思いになったのである。

次第に人が参り集まってきた。お遊び相手の童たちや幼子たちは、たいそう珍しく、今風のご様子なので、物思いもなく、一緒に遊んでいる。少女は男君がいらっしゃらない時などの、寂しい夕暮れなどにだけ、尼君を恋い慕い申し上げて、泣いたりなさるが、宮のことは特に思い出し申し上げなさらない。初めから、見慣れ申し上げなさらずにお育ちになっていたので、

今はただこの後の親に、たいそう親しみまとわりついて、いらっしゃる。〔源氏が〕どこかから、お帰りになるとまず、出迎えて、しみじみと話をしお懐に入って座り、少しもよそよそしく、気の張る相手とは思っていない。そのような面ではたいそうかわいらしいものだったのである。利口ぶった心があり何かと厄介な間柄になってしまうと、自分の気持ちにも少し食い違うところが出てくるのではと自然に気が置かれ、相手も恨みがちになって、思いがけないことも、自然と起こってくるけれど、かわいらしい慰めの相手である。娘などもまたこれほどの年頃になってしまうと、気楽に振る舞い隔てのない様子で、起き臥しなどもできはしないだろうが、これはたいそう変わった世話をして、かわいがる相手だと、お思いになるようである。

底本:北村季吟『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館所蔵 本別3-1 第5冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。