第11帖 花散里 / 第3場面
橘の香りと昔語り
あらすじ・人物・読み方
麗景殿の女御と故院をしのび、橘の花とほととぎすに思いを託します。
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さて、本来訪ねるつもりだったところは、想像していらしたとおり、人影もなく静かで、そこでお暮らしの様子をご覧になるにつけても、たいそうしみじみと感じられる。まず女御のお部屋で、昔のお話などを申し上げていらっしゃるうちに、夜が更けてしまった。二十日の月が昇ってくるころ、高い木々の影はいっそう薄暗く、あたり一面に見え、近くの橘の香りが、心引かれるように漂っている。女御のご様子は年を重ねていらっしゃるものの、どこまでもたしなみがあり、上品で愛らしい。
〔院から〕とりわけ華やかなご寵愛を受けることこそなかったけれど、親しく心安らぐ方とはお思いになっていたのに、などとお思い出し申し上げるにつけても、昔のことが次々と思われて、お泣きになる。ほととぎすが、先ほどの垣根の鳥だろうか、同じ声で鳴く。慕ってついて来たのだなと自然に思われる、そのひとときも優美である。「どうして知ってか」などと、声をひそめて口ずさまれる。
橘の香りに心を引かれ、ほととぎすは花の散る里を尋ねて訪れるのです。
忘れがたい昔を思う心の慰めには、まずこちらへ参るのがよかったのでした。ほかのことに気を取られることも、〔物思いの〕数が増すことも、たいそう多くございました。〔人は〕世の移り変わりに従ってしまうものなので、昔話を少しずつ打ち明けられる人も少なくなってゆきますが、ましてあなたは、どれほど寂しさを紛らわせることもなくお感じなのでしょう、と申し上げなさると、まことに今さら言うまでもない世の中のことながら、物事をたいそうしみじみとお思い続けになった、深いご様子も、その方のご人柄によるのだろうか、いっそう心に染みるのだった。
人影もなく荒れた住まいでは、橘の花が、軒を訪れるよすがになってくれたのでした。
とだけおっしゃるのも、〔源氏は〕そうは言っても、ほかの人とはたいそう違うのだと、比べてお思いになるのだった。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第11冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。