ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第22帖 玉鬘 / 第7場面

都の困窮

あらすじ・人物・読み方

京の九条のあばら家に身を寄せた一行は、心細い暮らしに沈む。豊後介と乳母は姫君を励まし、八幡への礼参りを経て、験あらたかな初瀬詣でを決意し、徒歩の旅に出る。

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九条に、昔知っていた人の残っていた者を探し出して、その住まいを借り置いて、都の中とはいえ、立派な人の住むあたりでもなく、身分の低い市女や商人の中で、気が晴れず世の中を思いながら、秋にもなっていくにつれて、来し方行く末、悲しいことが多かった。豊後介という頼もしい人も、ただ水鳥が陸で迷う心地がして、手持ち無沙汰に慣れない暮らしのよすがのなさを思うと、帰るにも体裁が悪く、考えなしに出立してしまったことを思うと、従って来た者どもも、縁に触れて逃げ去り、もとの国に帰り散ってしまった。

住み着くあてもないのを、母〔乳母〕が、明け暮れ嘆き〔姫君を〕気の毒がると、〔豊後介は〕「何を。私の身は、とても安いものです。お一人〔姫君〕の御身に代わり申し上げて、どこへなりとも消え失せようとも咎めはないでしょう。私たちが立派な勢いになっても、若君〔姫君〕をあのような者どもの中に漂わせ申し上げては、どんな心地がするでしょう」と語って慰めて、

「神仏こそ、ふさわしい方へも導きお知らせ申し上げなさるでしょう。近くの辺りに、八幡の宮と申すのは、あちら〔筑紫〕でも参りお祈り申しなさった松浦、筥崎と同じ社です。あの国を離れなさるときも、多くの願を立て申しなさった。今、都に帰って、このように御利益を得て上京したと、早く申し上げなさい」と言って、〔姫君を〕八幡に参詣させ申し上げる。その辺りを知る人に尋ねて、五師といって、早くに親が懇意にした高僧の残っていた者を呼び寄せて、参詣させ申し上げる。

「続いては、仏の中で、初瀬〔長谷寺の観音〕こそは、日本の中では、霊験あらたかな験を現しなさると、中国にまで聞こえているだろう。まして、我が国の中では、遠い国の境といっても、年を経なさったのだから、若君〔姫君〕をば、なおさらお恵みなさるだろう」と言って、〔姫君を〕出立させ申し上げる。わざわざ徒歩でと定めた。慣れない心地に、たいそう侘しく苦しかったけれど、人の言うままに、ぼんやりと歩みなさる。

「どんな罪深い身で、この世にさすらっているのだろう。私の親が、世に亡くなりなさったとしても、私を哀れと思いなさるなら、いらっしゃる所へ誘いなさい。もし、世においでなら、御顔をお見せなさい」と、仏を念じながら、〔親の〕あった様子さえ覚えていないので、ただ、「親がおいでだったら」とばかりの悲しさを、嘆き続けなさるうちに、このように差し迫って、身のどうしようもなさのままに、取り返しがつかずつらく思いながら、ようやく、椿市という所に、四日目の巳の刻ごろに、生きた心地もせずに、行き着きなさった。

歩くともなく、あれこれ繕ったけれど、足の裏が動かせず、つらいので、仕方なく休みなさる。この頼もしい人である介、弓矢を持った人二人、それから下の者、童など三、四人、女たちいる限り三人、壺装束をして、樋洗いのような者、年老いた下女二人ばかりがいる。

底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第22冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。