ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第33帖 藤裏葉 / 第10場面

六条院への行幸と管弦の遊び

あらすじ・人物・読み方

神無月、六条院に冷泉帝の行幸があり、朱雀院も臨席して世に珍しい盛儀となる。紅葉と菊のもとで管弦の遊びが催され、朱雀院・源氏・冷泉帝が歌を交わす。帖は中納言の笛と弁少将の唱歌の描写で閉じられる。

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現代語で読む

神無月(十月)の二十日過ぎの頃、六条院へ〔冷泉帝の〕行幸があった。紅葉の盛りで、風情があるはずの今回の行幸である上に、朱雀院にもお誘いがあり、院までもお越しになるということなので、世にも珍しく有り難いことで、世の人々も心を驚かせた。主人の院〔源氏〕の側も、心を尽くし、目も眩むほどのおもてなしの準備をなさる。

巳の刻(午前十時頃)に行幸があり、まず馬場殿に左右の馬寮の御馬を引き並べ、左右の近衛が付き添う作法は、五月の節句の〔競馬の〕作法と見分けがつかぬほど似通っていた。未の下る頃(午後三時頃)に、〔帝は〕南の寝殿へお移りになる。道中の反橋や渡殿には錦を敷き、丸見えになりそうな所には軟障を引き、丁寧に〔源氏は〕整えさせなさっていた。

東の池に舟々を浮かべ、御厨子所の鵜飼の長と院の鵜飼を呼び並べて、鵜を〔池に〕下ろさせなさった。〔鵜が〕小さな鮒などを食べていた。わざわざの御覧物ではないけれども、〔帝が〕お通りになる道すがらの興としてであった。

山の紅葉は、どの方角も劣らないが、西の御殿の前は格別であるので、中の廊の壁を取り崩し、中門を開いて、霧に隔てられることなく〔帝に〕ご覧いただく。

御座を二つ用意し、主人の御座は〔帝のより〕低くしてあったのを、〔帝の〕宣旨があって直させなさるほど、立派に見えたけれども、帝は、なお〔源氏が〕限りある敬いの心を尽くして見せ申し上げなさらないことを、〔残念に〕思われた。

池の魚を左少将が捕り、蔵人所の鷹飼が北野で狩り仕えた鳥一対を右少将が捧げ、寝殿の東から御前に出て、御階の左右に膝をついて奏上する。太政大臣は、〔帝の〕仰せ言をいただいて、調理して御膳に差し上げる。親王方や上達部などのおもてなしも、珍しい様子で、常の事どもを変えてお仕え申し上げなさっていた。

皆がお酔いになり、暮れかかる頃に、〔源氏は〕楽所の人を召す。大げさな大楽ではなく、優美な程度に、殿上童が舞をお仕え申し上げる。朱雀院の紅葉の賀の、あの古い出来事が思い出される。「賀王恩」という楽を奏する頃に、太政大臣の御弟子で十歳ばかりの〔童が〕、ひたすら見事に舞う。内裏の帝は、御衣を脱いで〔その童に〕お与えになる。太政大臣は〔階を〕降りて舞踏なさる。

主人の院〔源氏〕は、菊を折らせなさって、「青海波」を〔朱雀院と〕舞った折のことを思い出される。色の勝る垣根の菊も、折々に、〔私の〕袖を打ちかけたあの秋を恋しがっているようだ。大臣〔源氏〕は、その折には、〔朱雀院と〕同じ舞に立ち並び申し上げたが、〔今は〕自分も人には優れた身でありながら、なおこの〔朱雀院との〕際は格別であったほどが、思い知られる。時雨は、折を知った顔である。

紫の雲と見まがう菊の花は、濁りのない世の星かと見える。〔今こそ〕時というものがあるのだ。と〔源氏は朱雀院に〕申し上げなさる。

夕風が吹き敷く紅葉のさまざま、濃い薄い〔色が〕、錦を敷いた渡殿の上と見まがう庭の面に、顔立ちの愛らしい童で、高貴な家の子どもたちなどが、青・赤・白橡、蘇芳、葡萄染めなど〔の衣を着て〕、常のとおり、例のみずら姿で、額ばかりの様子を見せて、短い楽をほのかに舞いながら、紅葉の蔭へ返り入る頃、日が暮れるのもたいそう惜しいようである。

楽所などは大げさにはしない。お上方の管弦の遊びが始まり、書司の御琴どもを召す。楽の興が切実な頃に、御前に皆の御琴が参った。宇多法師の変わらぬ声も、朱雀院は、たいそう珍しくしみじみとお聞きになる。

秋を経て時雨が降るようになった里人も、このような紅葉の折を見たことはあるまい。〔昔を〕恨めしそうに思われたのであろうか。帝は、

世の常の紅葉とお思いでしょうか、昔の例に引き比べる庭の錦なのです。と、〔帝は源氏に〕お伝え申し上げなさる。御容貌はいよいよ成長して整いなさり、ただ並ぶもののないお方とお見えになるのを、中納言〔夕霧〕がお仕えしているのが、〔帝に〕少しも劣らないのが、目を見張るほどである。上品で立派な気配は、思いなしに〔どちらが〕劣り勝るだろうか、鮮やかに匂うような美しさは、〔帝に〕添ってまで見える。

〔中納言が〕笛をお仕え申し上げなさるのが、たいそう見事である。唱歌の殿上人が御階にお仕えする中で、弁少将の声が優れている。やはり〔笛と声は〕そうあるべき仲だと見える御仲間であるようだ。

底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第33冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。