第35帖 若菜下 / 第13場面
葵祭のころ
あらすじ・人物・読み方
過ちを犯した柏木は表に出ることもできず苦しみ、女三の宮も源氏の見舞いに恥じらうばかりである。葵祭の日、柏木は葵を見て独詠し、女宮は箏を弾きながら書きすさぶ。
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現代語で読む
女宮〔女二の宮〕の御もとにも参上なさらず、大殿へ忍んでおいでになった。横になっても目も合わず、見た夢がはっきり合うことも難しいことまで思うにつけ、あの猫のいた様子が、とても恋しく思い出される。
「それにしてもひどい過ちをしてしまった身だなあ。この世に生きていることこそ、目も当てられなくなってしまった」
と、恐ろしく空恥ずかしい心地がして、外出などもなさらない。女〔女三の宮〕のためは言うまでもなく、自分の心地にもとてもあってはならないことという中でも、恐ろしく思われるので、思いのままに紛れて歩くこともできない。
帝の御妻をも取り違えて、事が知られるようなことになれば、これほど思われることのためには、身が滅びるのも苦しく思われないだろう。しかし、著しい罪には当たらなくても、この院〔源氏〕に目をそらされ申し上げることは、とても恐ろしく恥ずかしく思われる。
限りない〔高貴な〕女と呼ばれるけれど、少し世慣れた心づかいが混じり、上は由緒があり子どもらしいのにも従わない下心が添っているこそが、とかくこのようなことに靡き、心を通わせなさる例もあったが、この方〔女三の宮〕は深い心もお持ちでないのに、一途に物を恐れていらっしゃるお心に、ちょうど今、人が見聞きつけたかのように、目も当てられず、恥ずかしくお思いになるので、明るい所にさえいざり出ることがおできにならない。とても残念な身の上だったと、ご自身お分かりになるだろう。
〔女三の宮が〕苦しそうだとあったので、大殿〔源氏〕はお聞きになって、ひどくお心を尽くしていらっしゃるご事〔紫の上の病気〕に加えて、またどうしたのかと驚かれて、お渡りになった。
はっきりと苦しそうなこともお見えにならず、とてもひどく恥じらってしめりこんで、はっきりと目もお合わせ申し上げなさらないのを、「久しくなった絶え間を恨めしくお思いなのだろうか」と、お気の毒で、あのご気分の様子などを申し上げなさって、
「最期の時かもしれない。今さら疎かな様子を見せ置かれたくないと思ってのことだ。幼かった頃から世話をし始めて、見放しがたいので、このように数ヶ月万事を知らない様子で過ごしているのだ。自然に、この時期が過ぎれば、見直してくださるだろう」
などと申し上げなさる。このように事情もお分かりにならないのも、お気の毒で心苦しくお思いになって、宮は人知れず涙ぐましくお思われになる。
督の君〔柏木〕は、まして、かえってつらい心地ばかりが増して、起き臥しして日を明かし暮らすのに苦労なさる。祭の日などは、物見に争って行く君達が大勢連れ立って来て誘っても、苦しそうに装って、眺めて臥していらっしゃる。
女宮〔女二の宮〕を、畏まって置いた様子でおもてなし申し上げて、ほとんど打ち解けてもお目にかかり申し上げなさらず、自分の方に離れて座って、とても所在なく心細く眺めていらっしゃるところに、童が持っている葵をご覧になって、
悔しいことに摘み犯してしまった葵草は、神がお許しになる挿頭ではなかったのに。
と思うのも、とてもかえってつらいことである。
世の中が静かでない車の音などを、よそ事として聞いて、人にやらされたのではない所在なさに、日を暮らしがたく思われる。
女宮も、このような様子のすさまじさも見知っていらっしゃるので、何事とはお分かりにならないが、恥ずかしく興ざめなことに、物思いがちにお思いになるのだった。
女房などが、物見に皆出て行って、人が少なくのどかなので、物思いに沈んで、箏の琴を慕わしく弾き探っていらっしゃる気配も、さすがに上品で優美だけれど、「どうせなら今一段及ばなかった宿世だなあ」と、やはり思われる。
双葉の葛の落葉を何のために拾ったのだろう。名は睦ましい挿頭だけれども。
と書きすさんでいるのは、とても軽率な後ろ言であることよ。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第35冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。