第36帖 柏木 / 第14場面
致仕の大臣と霞の衣の歌々
あらすじ・人物・読み方
夕霧は一条の宮からそのまま致仕の大臣のもとへ参り、柏木を失った親子の悲しみを分かち合って涙に暮れる。大臣は更衣の「柳の芽」の歌に心を乱し、夕暮れの霞を前に、大臣・夕霧・弁の君が「霞の衣」の歌を詠み交わす。
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現代語で読む
致仕の大臣の邸に、そのまま〔夕霧が〕参ると、君たちが大勢いらっしゃった。
「こちらにお入りください」
と言うので、〔夕霧は〕大臣の居間の方に入った。〔大臣は〕ためらいながら対面なさった。古風で清らかなお顔立ちは、ひどく痩せ衰えて、御髭なども手入れなさらないので伸び放題で、親の喪に服すよりも、ひどくやつれていらっしゃる。〔夕霧は大臣を〕拝見するや、実に堪えがたいので、「あまりに収まらず乱れ落ちる涙こそみっともない」と思うので、せめて顔を隠していらっしゃる。
大臣も、「特に仲良くいらっしゃったのに」と〔夕霧を〕ご覧になると、〔涙が〕ただ降りに降り落ちて、止めることがおできにならず、尽きない事どもを語り交わしていらっしゃる。
〔夕霧は〕一条の宮に参った様子などを申し上げる。ますます、春雨かと見えるまで、軒の雫と変わらず、〔涙で袖を〕濡らし加えていらっしゃる。畳紙に、あの「柳の芽にぞ」とあった〔歌〕を、〔夕霧が〕書いたものを差し上げると、〔大臣は〕「目も見えませんよ」と、〔涙を〕押し絞りながらご覧になる。
眉をひそめながらご覧になるお姿は、普段は心強く鮮やかで、誇らしげなご様子の名残もなく、見苦しいほどである。実は、格別のことはないようだけれど、この「玉はぬく」とある節が、なるほどと思われるにつけ、心が乱れて、長く抑えることがおできにならない。
「〔大臣は〕あなたの母君が亡くなった秋こそ、この世で悲しいことの極みと思いましたが、女は限りがあって、見る人が少なく、あれこれ表立たないので、悲しみも隠れておりました。
頼りなくても、朝廷もお捨てにならず、次第に成人し、官位につけて、互いに頼む人々が自然と次々に多くなったりして、〔世人が〕驚き残念がるのも、類に触れてあるでしょう。
このような深い思いは、その大方の世の評判も、官位も思い出されません。ただ格別のこともなかった〔柏木自身の〕ありさまだけが、堪えがたく恋しいのです。どれほどのことで、思いを晴らすことができるでしょうか」
と言って、〔大臣は〕空を仰いで眺めていらっしゃる。
夕暮れの雲の様子が、鈍色に霞んで、花の散った梢どもを、今日はじめて目にお留めになる。この御畳紙に、木の下の雫に濡れて、逆さまに霞の衣を着ている春であることよ。
大将の君〔夕霧は〕、亡き人も思わなかったでしょう、〔私を〕置き去りにして、夕べの霞〔のような喪服〕をあなたが着ていようとは。
弁の君は、恨めしいことです、霞の衣を誰が着よと言って、春より先に花が散ってしまったのでしょうか。
〔柏木の〕ご法事などは、世の常でなく、厳かであった。大将殿の北の方は別として、〔致仕の〕殿は格別に、誦経などにも、しみじみと深い心ばえを加えなさる。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第36冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。