第40帖 御法 / 第3場面
供養の果てと花散里の返歌
あらすじ・人物・読み方
供養の翌日、紫の上は苦しく臥せりながら、集まった人々の顔や琴笛の音も今日が見納めかと思い、平生は目にも留まらない顔までしみじみと眺める。供養が終わり人々が帰るのも遠い別れのように惜しまれ、紫の上は花散里へ御法と契りを詠んで送り、花散里は契りは絶えないと返歌する。
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現代語で読む
昨日、いつもと違って起きていらっしゃった名残であろうか、〔紫の上は〕たいそう苦しそうにして臥せっていらっしゃった。年来、このような催しの折ごとに参り集まって遊ばれる人々のご容貌や様子の、それぞれの才能どもや、琴や笛の音をも、今日が見聞きなさる最後であろう、とばかりお思いになるので、それほど目に留まるはずもない人々の顔どもも、しみじみと見渡されていらっしゃる。
まして、夏や冬の折につけた遊び戯れにも、少し競いたい下心は、自然と立ち交じりもするだろうが、やはり情けを交わし合われる方々は、誰も長く留まるはずの世ではないけれど、まず自分一人だけが行方知らずになってしまうだろうとお思い続けるのは、ひどくしみじみと哀れである。
〔供養の〕ことが終わって、〔人々が〕それぞれお帰りになろうとするのも、遠い別れのように惜しまれる。花散里の御方に、絶えるはずのない御法であるからこそ頼もしく思われ、世々まで結ぼうとする〔私たちの〕仲の契りを思います。
〔花散里の〕お返しは、結んでおく契りは絶えることはありません、一般には残り少ない御法であるとしても。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第40冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。