ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第41帖 幻 / 第11場面

五月雨、花橘とほととぎす

あらすじ・人物・読み方

五月雨の夜、源氏は花橘の香とほととぎすを待ちながら物思いに沈み、伺候した夕霧と紫の上の一周忌の供養について語り合う。待たれたほととぎすが鳴くと源氏は亡き人を偲んで詠み、夕霧は花橘の盛りを伝える歌で返す。夕霧はそのまま宿直し、紫の上の在りし日が思い出される。

下の同じ枠で原文・発音の読み・現代語を一節ずつ確認できます。どの読み方から始めても読了を記録できます。

表示と音声の設定

任意の復習へ

現代語で読む

五月雨の頃は、〔源氏は〕ますます物思いに暮らされるよりほかのことはなく、物足りないところへ、十余日の月が華やかに差し出た雲間が珍しいので、大将の君〔夕霧〕が御前に伺候なさる。

花橘が月影にたいそう際立って見え、その香りも追い風に懐かしく、〔ほととぎすが〕千代を馴らせる声も出すだろうと待たれるうちに、にわかに出てくる村雲の様子がたいそう意地悪く、ひどく大げさに降ってくる雨に添い、さっと吹く風に灯籠も吹き惑わされ、空が暗い気持ちがするところに、「窓を打つ声」など、珍しくもない古い言葉を口ずさみなさるのも、折からでしょうか、妹の垣根を訪ねさせたいような御声である。

「一人住まいは、格別変わることはないけれど、妙に物足りない。深い山住まいをするにも、このように身を慣らしておいたら、格別心が澄むはずの修行だ」などとおっしゃって、「女房、ここに果物など差し上げよ。男どもを召すのも大げさなほどだ」などとおっしゃる。

〔夕霧は〕心には、ただ空を眺められる〔源氏の〕ご様子が尽きずお気の毒なので、「このようにばかり思い紛らわせなければ、ご修行にも心をお澄ましになることは難しいでしょうか」と、拝見申し上げになる。「ほのかに見た御面影さえ忘れがたい。まして〔源氏は〕当然のことだ」と、〔夕霧は〕思い続けていらっしゃる。

「昨日今日と思っておりますうちに、〔紫の上の〕ご命日もだんだん近くなってしまいました。どのようにお心づもりでいらっしゃるのでしょうか」と〔夕霧が〕申し上げなさると、

「どれほど、世の常ならぬことをしようか。あの〔紫の上が〕心ざしを残された極楽の曼陀羅などは、このたび供養すべきだ。経などもたくさんあったのを、某僧都が、みなその意向を詳しく聞き置いていたので、また加えてすべきことどもも、その僧都の言うことに従ってするべきだ」などとおっしゃる。

「このようなことは、もともと取り立ててお心づもりなさっていたのは、心安いことですが、この世では仮初めのご契りだったと〔私が〕拝見するには、形見と言えるほど留め申し上げた人さえいらっしゃらないのが、残念でございます」と申し上げなさると、

「それは、仮初めではなく、命の長い人々にも、そのようなことはおおかた少なかった。〔それは〕自分自身の残念さのゆえだ。そなたこそは、門を広げなさるだろう」などとおっしゃる。

何事につけても、堪えがたいお心弱さが慎ましくて、過ぎ去ったことをひどく口にお出しにならないところへ、待たれていた山ほととぎすがほのかに鳴いたのも、「どうして知ってか」と、聞く人はただごとではない〔気持ちになる〕。亡き人を偲ぶ宵の村雨に濡れてやって来たのだろうか、山ほととぎすよ。と言って、〔源氏は〕ますます空を眺められる。大将は、

ほととぎすよ、君に伝えておくれ、ふるさとの花橘は今が盛りだと。女房なども、多く言い集めたけれど、〔ここに〕留めた。大将の君は、そのまま御宿直に伺候なさる。寂しいお一人寝がお気の毒なので、時々このように伺候なさるにつけても、〔紫の上が〕いらっしゃった頃は、たいそう気遠かった御座のあたりを、ひどく立ち離れないことなどにつけても、思い出されることも多い。

底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第41冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。