第45帖 橋姫 / 第12場面
御簾の前の対話
あらすじ・人物・読み方
車を呼ばせた薫は御簾の前に進み、長年の思いを真面目に語りかける。大君がほのかに答えるが、応答に困って老女(弁の君)を起こし出す。老女は薫の姿と香に昔を思い出して泣き、言い残しかけた昔語りをほのめかして、薫の心を強く引きつける。
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現代語で読む
そっと出て、京へ、御車を引いて参るよう、人を走らせた。そこにいた侍に、「折悪しく参上してしまいましたが、かえって嬉しく、思うことが少し慰められました。このように伺候している旨をお伝えください。ひどく濡れてしまったこともお伝えしましょう」とおっしゃると、侍は参ってお伝えする。
このようにお目見えしようとは思いも寄らず、打ち解けていたあれこれを、お聞きになってしまったかと、たいそうひどく恥ずかしい。不思議に、香ばしく匂う風が吹いてきたのを、思いがけないことなので、「驚かなかった心の鈍さよ」と、心も惑って、恥じ入っておられる。
御消息などを伝える人も、たいそう未熟な人のようなので、「折柄ということもあるのだろう」と思って、まだ霧の紛れであるうちに、先ほどの御簾の前に歩み出て、座り込まれる。山里育ちの若い人々は、答え申すべき言葉も分からず、お座布団を差し出す様子も、たどたどしい。
「この御簾の前では、きまり悪く存じます。突然の浅い心ばかりでは、このように尋ね参るはずもない山の懸け路に思い立ったことを、特別なこととお察しください。このように露の多い道行きを重ねては、それでも、ご理解いただけるだろうと、頼もしく存じます」と、たいそう真面目におっしゃる。
若い人々が、穏やかに応対できるでもなく、消え入りそうに恥ずかしがっているのも、そばで見ていて辛いので、女房たちの奥深くにいる人(老女)を起こし出すまでに、長い時間がかかり、わざとらしくするのも苦しくて、「何事も分からない有様で、知った顔をしても、どれほど申し上げられるでしょうか」と、たいそう奥ゆかしく、上品な声で、引き入りながらほのかにおっしゃる。
「一方では知りながら、つらさを知らないような顔をするのも、世の習いと存じ知っておりますが、一方では、あまりにも分からないようにしておられるのが、残念なことです。稀に、万事を思い澄ましたお住まいなどに、比類なくお聞かせになるお心の内は、何事も清々しく推し量られますので、やはり、このように忍びかねている思いの深さ浅さのほども、お分けいただけるなら、甲斐がありましょう。世の常の好き好きしい筋には、お放ちになってよいものでしょうか。そのような方面は、わざわざ勧める人があっても、なびきそうもない心の強さでございます。自然とお聞き合わせになることもございましょう。所在なくばかり過ごしております世の物語も、お聞かせする相手としてお頼み申し上げ、またこのように、世を離れて、物思いに耽っておられるであろうお心の紛らわしには、それほど、お驚かせになるほどにお話し申し上げ馴れましたら、どれほど思いのままであることでしょう」などと、たくさんおっしゃるので、控えめで、答えにくくて、起こした老女が出て来たのに、お譲りになる。
比べようもなく出しゃばって、「ああ、恐れ多いこと。若い方々のそばで見るのも辛いお座の様子でございますね。御簾の内へどうぞ。若い人々は、物事の程度を知らないようでございますから」などと、したたかに言う声が年を取りすぎているのも、そばで聞いていて辛く君たちはお思いになる。
「たいそう不思議に、世の中にお住まいになる人の数でもないご様子で、そうあってしかるべき人々でさえ、お見舞いやお付き合い申し上げることも、見えず聞こえずばかりが増していくようでございますのに、稀有なお志のほどは、数ならぬ心にも、驚くほどに思い申し上げておりますのを、若いお心にもお分かりになりながら、申し上げにくいのでございましょうか」と、たいそう遠慮なく世慣れているのも、少し憎らしいものの、様子がひどく人らしく、奥ゆかしい声なので、「たいそう手立ても知らない心地がしていたのに、嬉しいご気配です。何事も、実に、思い知っておられたお頼みが、この上なかったことよ」と言って、寄り座っておられるのを、几帳の側から見ると、暁に、次第に物の色が分かるようになって、実に、身をおやつしになっていると見える狩衣姿が、たいそう濡れて湿っているほどに、「困ったことだ、この世の外の匂いだろうか」と、不思議なほどに香りが満ちていた。この老女はふと泣き出した。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第45冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。