ATAWI 古典文学JAPANESE CLASSICS, AT YOUR PACE

第45帖 橋姫 / 第6場面

宇治の阿闍梨

あらすじ・人物・読み方

宇治山に住む阿闍梨は、学識深く世の覚えも高いが、山に籠もって勤める僧であった。近所に移ってきた宮は阿闍梨のもとで法文を読み習い、その教えにますますこの世の儚さを知らされる。宮は、幼い姫君たちを見捨てがたい後ろめたさばかりに、出家の姿に改められないのだと阿闍梨に語られる。

下の同じ枠で原文・発音の読み・現代語を一節ずつ確認できます。どの読み方から始めても読了を記録できます。

表示と音声の設定

任意の復習へ

現代語で読む

ますます山深いお住まいに、尋ねて参る人はいない。身分の低い者など、田舎びた山の民だけが、まれに馴れて参ってお仕えする。峰の朝霧が晴れる折もなく日々を明かし暮らしておられるうちに、この宇治山に、聖らしい阿闍梨が住んでいた。

学識がたいそう優れて、世の覚えも軽くないのに、めったに公の勤めにも出仕せず、籠もっていたところ、この宮が、このように近い所にお住まいになって、寂しいご様子で尊い勤めをなさりながら、法文を読み習われるので、阿闍梨は尊敬申し上げて、いつも参上する。

長年学んで知られたことどもの、深い意味を解きほぐしてお聞かせ申し上げ、ますますこの世がたいそう仮のもので、つまらないことを申し上げて知らせるので、宮は「心ばかりは蓮の上に思い上り、濁りのない池にも住めるはずなのに、こんなに幼い人々を見捨てる後ろめたさばかりのために、一途に容姿をも変えられないのです」などと、隔てなくお話しになる。

底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第45冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を、国立国会図書館デジタルコレクションの原画像(IIIF)と照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。