第53帖 手習 / 第11場面
初瀬詣でと古川の歌
あらすじ・人物・読み方
九月、尼君は初瀬へ詣で、留守を預かる浮舟は古川の二本杉に寄せた手習を書き、少将の尼と碁を打って紛らわす。
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荻の葉に劣らない程々に、訪れ続ける、「たいそう難しいことでもあるな。人の心は、強ち(ひたむき)なものなのだ」と、見知った折々も、だんだん思い出すままに、
「なお、このような筋のことは、人にも思い放すべき様子に、早くしてください」と言って、経を習って、読む。心のうちにも念じている。こう、万事について、世の中を思い捨てると、「若い人といって、趣深いことも特に無く、結ぼおれた本性なのだろう」と思う。
容貌の見る甲斐があり、美しいので、万事の咎を見許して、明け暮れの見物にしている。すこし微笑む折は、珍しく、素晴らしいものに思える。
九月になって、この尼君が、初瀬に詣でる。年ごろたいそう心細い身に、恋しい人の上も思い止まれなかったのを、このように別の人とも思えない慰めを得たので、観音の御験が嬉しいと言って、返り申し立てて、詣でるのだった。
「さあ、どうぞ。人が知ろうとするのではない。同じ仏だけれど、そのような所に行ったのは、験があって、よい例が多い」と言って、促し立てるけれど、「昔、母君、乳母などが、このように言い知らせながら、たびたび詣でさせたのが、甲斐ないものでした。
命さえ、心にかなわず、類ないひどい目を見る」と、たいそう心痛いうちにも、「知らない人に具して、あの道の歩きをしたら」と、空恐ろしく思われる。
心強い様子には、言いもしないで、「心地がたいそう悪くばかりおりますので、そのような道の程にもどうだろうなど、遠慮がちで」とおっしゃる。「物怖じは、そうなさるべき人だ」と思って、無理にも誘わない。
はかなくて、世にある古川の憂き瀬には、尋ねては行きますまい、二本の杉よ。と、手習に混じっているのを、尼君が見つけて、「二本は、またも逢い申し上げようと思う人が、いるでしょう」
と、戯れごとを言い当てたのに、胸が潰れて、顔を赤らめているのが、たいそう愛敬づき、美しい。
古川の杉の素性を知りませんが、過ぎ去った人に寄せて見ています。格別なことのない返事を、口早く言う。密かにと言っても、皆が慕いながら、ここには人が少なくていらっしゃるのを心苦しがって、心ばえのある少将の尼、左衛門といってある、大人しい人、童だけを、留めたのだった。
皆が出立するのを見送って、情けないことを思いながらも、「今は、どうしよう」と、「頼もしい人に思う人が一人もいないのは、心細くもあるな」と、たいそう所在ないところに、
中将のお文がある。「ご覧ください」と言っても、聞き入れもしない。ますます人も見えず、所在なく、来し方行く先を思い屈している。「苦しいまでも、眺めさせなさるなあ。お碁を、打たせてください」
と言う。「たいそう下手でした」とはおっしゃるけれど、打とうと思ったので、盤を取りにやって、自分こそはと思って、先手で打たせたのに、たいそう劣らないので、また手を直して打つ。
「尼上が早く、お帰りになるだろう。このお碁を、見せ申し上げよう。あのお碁は、たいそう強かった。僧都の君が、早くからひどく好んで、悪くはないと思っていたのを、たいそう棋聖大徳になって、『差し出て打たないとしても、お碁には負けないぞ』と、申し上げたのに、
ついに僧都が、二つ負けた。棋聖の碁には、勝たせなさるべきようだ。ああ、素晴らしい」と興じると、定め過ぎた尼額の見つからないのに、物好みするのに、「難しいことをし始めたな」と思って、「心地が悪い」と言って、臥せってしまった。
「時々、晴れ晴れしく、振る舞って、いらっしゃいませ。もったいないお身を。ひどく沈んで、振る舞わせなさるのは残念で、玉に瑕がある、心地がします」
と言う。夕暮れの風の音も感慨深いのに、思い出すことも多くて、
心では秋の夕べの風情を分かりませんが、眺める袖に露(涙)が乱れ落ちます。
底本:北村季吟編『湖月抄』延宝元年[1673]刊・国立国会図書館蔵 本別3-1 第53冊。本文画像:所蔵機関の公開資料。延宝元年(1673)刊『湖月抄』の大字本文を原画像とOCRで照合した独自編集本文です。通行字体・現行仮名へ写し、濁点・句読点を補い、反復符を展開しています。発音の読みと独自訳を添え、補った主語などは〔 〕で示します。